原爆の恐怖と悲劇を描く戦争文学―井伏鱒二の『黒い雨』②
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8月第1作目には、井伏鱒二の小説、『黒い雨』を取り上げます。
近代文学じゃなくて現代文学じゃない?と思った方!
まあ、良いではないですか🤣🌸笑
『黒い雨』は、1965年~1966年に書かれた井伏鱒二の作品で、原爆の悲惨さを描いた戦後文学の傑作と言われています。
『黒い雨』――原爆の恐怖と悲劇を描く戦争文学
井伏鱒二(1898~1993)
【書き出し】
この数年来、小畠村の閑間重松は姪の矢須子のことで心に負担を感じて来た。
数年来でなくて、今後とも云い知れぬ負担を感じなければならないような気持ちであった。
二重にも三重にも負目を引受けているようなものである。
【名言】
※【あらすじ】(前編)は、第1回目記事をご参照ください🌸
【あらすじ】(後編)
重松は、自分の体験と矢須子の体験の比較のために、八月六日~八月十五日の玉音放送までの自身の体験を詳細に記録した「被爆日記」を清書し、仲人に送ろうと考えた。
「八月六日 晴
僕は朝の出勤で、いつものとおり可部(かべ)行の電車に乗るため横川駅の構内に入った。
ちょうど発車間際であった。
発車寸前の電車の左側三メートルぐらいのところに、目もくらむほど強烈な光の球が見えた。
同時に、真暗闇になって何も見えなくなった。」
広島市内で被曝していた重松は、原爆病のために重労働ができず、知人らと鯉の養殖をしていた。
時間が自由になる分、日記の清書を進めていった。
そんなある日、重松が近所の好太郎の家へ行くと、見慣れぬ自動車が止まっていた。
山野村から結婚の聞きあわせにお客が来ているとのことだ。
「矢須子のことだ」と直感した重松は、矢須子が晒しものにされているようで可哀そうでならなかった。
「被爆日記」の清書にも力が入る。
しかし、八月十二日までの清書を終えたところ、まとまりかけていた縁談が不意に断られてしまう。
さらに、矢須子に原爆病の症状が出始めていたことを重松は知る。
まず熱が出て、その後、尻に腫物ができ、髪も抜けてきていた。
しかし、矢須子は夫妻に知られないよう、駆虫剤を飲んだりアロエの葉を食べたりして、独りで治療しようとしていたのだ。
病院で初めて診察を受けたときには、かなり症状が進んでいた。
矢須子は日ごとに衰弱し、その容体は素人目にも絶望的なものになっていった。
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