史上最年少での芥川賞を受賞した問題作――石原慎太郎の『太陽の季節』①
いつも私の記事をご覧くださり、ありがとうございます🌸
定期購読マガジン「仲川光🌸文学入門」、1度第1回を公開させていただきます。
この記事がいいな!と思った方、続きが読みたいと思った方は、ぜひ定期購読マガジンの方をご検討くださいね。↓↓
1月第1作目には石原慎太郎の『太陽の季節』を取り上げます。
石原慎太郎といえば、長らく東京都知事を務めていたイメージですが、現役大学生・史上最年少での芥川賞を受賞するという華々しい経歴を誇る作家でもあります。
『太陽の季節』―無軌道で不道徳な若者の生態を真正面から描いた話題作
『太陽の季節』は、1955(昭和三十)年、文芸雑誌「文學界」七月号に新人賞受賞作として発表されました。
当時、石原慎太郎は一橋大学在学中の大学生で、この作品が文壇デビュー作でした。
翌年、『太陽の季節』は第三十四回芥川賞を受賞。
当時史上最年少での芥川賞受賞となり、爆発的な人気を博します。
同時に、作品の倫理性をめぐっては、社会的にも賞賛と非難の嵐が巻き起こる大事件となりました。
石原慎太郎(1932~2022)
【書き出し】
竜哉が強く英子に魅かれたのは、彼が拳闘に魅かれる気持と同じようなものがあった。
それには、リングで叩きのめされる瞬間、抵抗される人間だけが感じる、あの一種驚愕の入り混じった快感に通じるものが確かにあった。
【名言】
「乾き上った季節に、獲物は案外多かった」
「何故貴方は、もっと素直に愛することが出来ないの」
【あらすじ】
竜哉と英子の出会いは高校三年生の春だった。
竜哉と友人の五人が、東京の並木通りで英子たち三人組に声をかけたのだ。
その夜、ナイトクラブで遊んで別れたが、五日後、三人は竜哉のボクシングの試合の応援に来た。
試合は竜哉の圧勝だったが、ひどい流血に見舞われ、英子たちが車で竜哉を病院へ送った。
竜哉と英子は頻繁に逢うようになり、夏が来る前に、男女の関係になっていた。
しかし、二人の間には恋が芽生えていたわけではない。
竜哉は今まで数多くの女と関係を持ってきたが、そこに肉体の歓び以上のものを見出すことはなかった。
一方、英子も男を愛することができない女だった。
幼い頃に恋心を抱いた従兄の兄弟は、二人とも戦争で死んだ。
三年前に相思相愛になった男性は、ホテルに英子を待たせたまま、踏切り事故で死んでしまった。
「自分を与えたい」と思った相手は皆、死んで彼女を裏切ったのだ。
「与えることはやめて奪うことに徹しよう」と彼女は決意した。
そんな英子に、竜哉は、リングで敵と立ち向かう時のギラギラした快感のようなものを感じた。
他の女性とは違って、英子からは奪うことができず、奪われるばかりであった。
転機は八月に訪れた。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?