死にゆく恋人との「幸福」を探し求めて✨堀辰雄の『風立ちぬ』②
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7月第1作目には、堀辰雄の自伝小説、『風立ちぬ』を取り上げます。
『風立ちぬ』は昭和十年代文学の代表作として高い評価を得ています。
近年では、宮崎駿監督による長編アニメーション映画『風立ちぬ』が公開されて大きな話題となりました。
ただし、宮崎作品の『風立ちぬ』は堀辰雄作『風立ちぬ』から着想を得つつ、ゼロ戦を設計した実在の人物・堀越二郎を主人公にしたオリジナル作品です。
そのため、映画と小説は異なりますが、サナトリウムに入院する病床のヒロインに付き添う主人公、という構図は同じです。
「風立ちぬ」――死と直面しながら、二人の「幸福」を探し求める自伝小説
堀辰雄(1904~1953)
【書き出し】
それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木陰に身を横たえていたものだった。
【名言】
「風立ちぬ、いざ生きめやも」
(ポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」より)
「私、なんだか急に生きたくなったのね……」
「あなたのお陰で」
【あらすじ】後編
十月、節子の父親から、近いうちにサナトリウムに立ち寄るとの手紙が届いた。
近頃、食欲が衰え、やや痩せの目立つようになっていた節子は、その日からつとめて食事をし、ときどきベッドの上に起きたり、また思い出し笑いのようなものを見せたりした。
やがて父が来て、親子二人で愉しく会話をしている姿を見ると、その表情や抑揚には、何か非常に少女らしい輝きが蘇っていた。
二日滞在した父を私が駅まで見送り、病室に帰ってみると、節子はこれまでにないくらいの激しい咳にむせっていた。
その後、絶対安静の日々が続いたが、その危機は一週間ほどで立ち退いた。
やがて、私は、節子と過ごす「幸福」についての小説を書き始めた。
しかし私には、いまの生活のなかで私たちが幸福だと思っているものは、自分の気まぐれではなかろうかとの気がかりがあった。
それを聞いた節子は、側に一緒にいてくれる悦びと、以前私が言った、
「私たちのいまの生活、ずっとあとになって思い出したらどんなに美しいだろう」
という言葉が、自分の気持ちを落ち着かせていると伝えた。
私は、胸のしめつけられるような、見知らない感動で一ぱいになっているのを感じた。
〈冬〉
十一月、山の頂には目立つほど雪が残るようになってきた。
私はこの頃、自分の仕事にかかりっきりになっており、また、その物語の主題である「幸福」を、もう完全には味わえなくなっている自分に不安を感じていた。
ある日の午前中、私は看護婦長から、節子がけさ、少量の喀血をしたことを聞かされた。
用心のために付添看護婦をつけることになり、その間だけ私は隣の病室に引き移った。
毎日、二、三時間隔きぐらいに、節子の病室に行き、枕もとにしばらく座る。
看護婦のいない時にも、二人で黙って手を取り合って、お互いになるたけ目も合わさないようにしていた。
十二月のある夕方、節子が不意に、「あら、お父様」とかすかに叫んだ。
この時間になると、山の端に、いつも父親の顔に似た影ができるという。
「なんだか帰りたくなっちゃったわ」という節子は、しかし、「……こんな気持、じきに直るわ……」と謝った。
突然、咽をしめつけられるような恐怖が私を襲った。
彼女は両手で顔を押さえていた。
急に何もかもが自分たちから失われて行ってしまいそうな、不安な気持ちで一ぱいになりながら、私はベッドに駆けより、彼女の手を顔から除けた。
そして、がっくりと膝を突いて、節子の手が私の髪の毛を軽く撫でているのを感じながら、いつまでもベッドの縁に顔を埋めていた。
〈死のかげの谷〉
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