恋愛・家庭・不倫……時代によって善悪は変わるのか?トルストイの『アンナ・カレーニナ』④
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今月は、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を取り上げます。
トルストイといえば、近代文学を代表する世界的文豪です。
同時代に活躍したドストエフスキーと並び、ロシア文学の世界的存在感を一気に引き上げた立役者でもあります。
長編が多く、登場人物も多いですが、ドストエフスキーと比べると、ストーリーの筋書きも比較的シンプルで分かりやすく、王道の名作、ともいうべき作品が多いのが教養としては概要だけでも知っておきたい名作の数々!!
『アンナ・カレーニナ』と共にトルストイの代表作として有名なのが、『戦争と平和』です。
今、世界で戦争が起きている中で、まさに旬の話題かもしれません。
ただ、『戦争と平和』はかなりの長編であり、ストーリーのご説明にやや時間がかかる大作です。
まずは、話の内容が比較的分かりやすく、考えさせられる議論もしやすい『アンナ・カレーニナ』の方をピックアップさせていただきますね。
『アンナ・カレーニナ』―世界的文豪トルストイの描く恋愛・家庭・不倫
レフ・トルストイ(1828~1910)
【書き出し】
すべて幸福な家庭は似通っているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸の趣を異にしているものである。
【名言】
【あらすじ】は第1回、第2回の記事をご参照ください🎶
【解説②】
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〇アンナ・カレーニナから学ぶ教訓
・克明に描かれる「転落」までの軌跡
『アンナ・カレーニナ』で描かれるのは、主人公のアンナが不倫の沼にはまり、自らの行きすぎた欲によって伴侶や子どもを不幸にし、死に至るという悲劇。
あまりにもセンセーショナルなため、アンナとヴロンスキーの不倫、そして死にばかり目がいきがちです。
ただ、トルストイの描く人間模様は濃密で、「不倫」という事実への嫌悪感をあおるというより、なぜ転落に至るまでの道筋が出来たのかが克明に描かれているところが秀逸です。
アンナは、「高いプライド」を持ちながら、配偶者から十分に女性として愛されていない「劣等感」をもっている女性。
ヴロンスキーは、「幼い頃に父を亡くし、家庭生活を経験したことがない」ため、「結婚の意思なくして女性を惑わせることが悪い事であるなど考えた事のない人物」だった、とされています。
つまり、二人は現代風に言うと、「愛欠乏症」の女性と、親との愛着形成に歪みが生じた男性。
お互いが愛に飢えた結果、子供や周りの人々への配慮なく、自分達だけの世界に入り込んでいく自己愛の二人として描かれています。
そもそもの土台に確固たる自己肯定感や愛情が不足していたのも、転落の大きな原因のひとつでしょう。
・「離婚」が許されなかった時代
トルストイがこのお話を書かれた当時、ロシア正教では離婚は「神の掟に背く」とされ、よほどの理由がないと許されませんでした。
そのため、配偶者以外の相手と恋に落ちること自体が罪だったと思われます。
この辺りが、離婚・再婚の多い現代とは少し状況が違うかもしれませんね。
ただ、変わらない教訓としては、「愛に飢えた二人が周りへの配慮をまったくせずに欲望のままに突き進んだ時、待ち受けているのは悲劇である」ということでしょうか。
・作者トルストイも登場人物に自己投影
トルストイは、アンナとヴロンスキーと対照的なカップルとして、幸福な家庭を築く農地経営者のリョ―ヴィンとキチイ夫妻を描いています。
実はリョ―ヴィンは、トルストイ自身がモデルとされているのです。
従来の貴族とは異なり、百姓と共に農作業を行い、農地改革への理想に燃えながらも挫折を味わい、人生を模索していくリョ―ヴィン。
彼がキチイの妊娠・出産や農民の純朴な信仰心に感化されていく姿は、トルストイと重なります。
トルストイ自身も、政府に頼らない農奴解放政策を進めており、農民に向けた教育事業にも乗り出したりと、試行錯誤を重ねてきました。
〇悲劇の聖人・トルストイの生涯
世界的名声を得ながら、悲劇の最期を遂げたトルストイの人生。
ポイントを絞ってご紹介しましょう。
・幼少期
レフ・トルストイは1828年、ロシアの名門貴族、トルストイ伯爵家の四男として誕生します。
父親は領地経営をしており、その領地では数百人の農民が暮らしていました。
ところが、トルストイが二歳になる前に母親は亡くなり、九歳になる年に父親も他界。
そのため、トルストイは三人の兄と妹と共に、父方の叔母等に引き取られて育ちました。
・青年期
トルストイはカザン大学に入学しますが、二年で中退。
父親から相続した故郷のヤースナヤ・ポリャーナにて地主生活を始めます。
はじめは農民たちを貧困から救おうと善意に燃えていたトルストイですが、彼らの理解を得られず、地主の夢は失敗。
目標をなくしたトルストイはモスクワ等で数年、放蕩生活を送った後、コーカサス地方に移り、義勇兵として山岳民族との戦いにも参加。
一方で読書にも励み、自身の半生を自伝的に語った『幼年時代』で文壇デビュー。
19世紀のロシアでは作家という身分は特権階級に相当します。
特にトルストイのような地主貴族出身の作家は、エリート中のエリートでした。
1852年には軍役に就き、クリミア戦争に将校として従軍。
祖国を護るため、無私の精神で戦う兵士たちの士気の高さに驚きつつ、これらの戦争経験は、のちに非暴力主義を掲げる素地となりました。
・『戦争と平和』
結婚後、トルストイは初の長編歴史小説『戦争と平和』を七年かけて執筆。
1805年~1812年のナポレオン戦争を取り上げ、膨大な史料をもとに書き上げられたのは、圧倒的なスケールを持つ大作。
トルストイはロシア随一の作家として不動の地位を築きました。
・『アンナ・カレーニナ』
愛と恋愛をテーマにした『アンナ・カレーニナ』の執筆中、トルストイは子ども三人と育ての親を亡くすなど、相次ぐ身内の不幸を経験。
執筆以降、信仰について深く考えるようになります。
そして、自らの内面的苦悶や信仰観の変化を経て、『復活』などの宗教的に大作にも挑んでいきます。
・『懺悔』で語られる心境の変化
トルストイは、『懺悔』と言う著書で、自身の内面的変化を語ります。
十歳のころから跪いて祈るのをやめ、十八歳ころにはロシア正教によって教え込まれたすべてを信じなくなっていたが、自分のなかではやはり何ものかを信じていたこと。
青年期には信仰を道徳的完成として捉え、自分自身や神に対して善き人となるよりも、他人に対して善き人になろうという欲望に変わってしまっていたこと。
兄の死をきっかけに、「人は何のために生まれ、何のために死ぬのか」という悟りの研究を始めたこと。
結婚後、探求心よりも家庭の幸福に埋没してしまっていたこと。
執筆活動を続け、十五年の歳月がたったある時、「自分は何のために生きるのか」、「何をなすべきか」を考える状態が続くようになり、もはや表面的な芸術や家族の幸福では満足できなくなったこと。
トルストイはこの『懺悔』執筆以降、作家としてだけではなく、思想家としても影響力を増し、世界的に有名になっていきます。
・トルストイ主義の誕生
度重なる内観により、「神を信じることは生きることと同義である」と実感したトルストイ。
しかし、教会で教わる教義のあり方には救いを見いだすことはできないと判断し、教会から離れ、自らの内に神を求めるようになります。
彼は福音書の研究を通して、キリストの教えに則った、隣人愛や非暴力、簡素な生活を提唱していきます。
唯一の信仰の手引きを教会ではなくキリストのみとし、福音書の教えに則った生き方を目指すトルストイの思想は、やがて「トルストイ主義」として広がります。
・トルストイの妻は「世界三大悪妻」の一人
トルストイの妻・ソフィア夫人は、晩年のトルストイを苦しめた存在として、「世界三大悪妻」に名を連ねています。
結婚当初は夫の執筆を手伝う良き妻であったというソフィア夫人。
彼女との葛藤が起きたのは、トルストイが思想家として影響力を強めるようになった晩年でした。
晩年、トルストイは「世界の聖人」と尊敬され、彼の周りには信奉者が集まるようになります。
民衆が農作業にて汗を流しながら、純朴な信仰を持って生活する姿に真理を見出そうと、共同生活を送るようになるのです。
彼らと共に理想の生活を目指し、自身の信条に基づき、著作権等による収入を放棄しようとするトルストイに対し、現実主義者の妻ソフィアは大反対。
最終的にトルストイは、妻と信奉者との間の対立に嫌気がさして家出。
途中下車した駅で体調不良で動けなくなり、1週間後に肺炎で亡くなりました。
世界の聖人と称されながら、とても可哀想な死に方となってしまったのです。
トルストイの死を悼み、その棺には一万人を超える人が集まったといいます。
そして、妻ソフィアは、聖人の思想を理解できなかった女性として、ソクラテスの妻・クサンチッペらと並び、世界三大悪妻の一人と称されることとなりました。
「聖人、必ずしも良き家庭人にあらず」と言われますが、偉大な思想を残す天才というのは、家庭で理解されずに苦しむケースも多いようです。
苦しい晩年を過ごされたトルストイですが、彼の作品は今もなお、世界中の読者に愛されています。
今回の解説はここまで。
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