安珍・清姫伝説〜女の執念は怖い!
子どもと「まんが日本昔ばなし」を見ていると、時々ものすごく恐ろしい教訓物語が出てきます。
あまりにも衝撃的すぎて、子どもに何と説明してよいか分からなかった悲恋物語をご紹介したいと思います。
和歌山県の道成寺というお寺に伝わるお話です。
安珍・清姫
昔、安珍という若いお坊さんが、熊野大社へ参詣する途中、庄屋さんの家に一晩泊めてもらった。
その家にいた清姫という女性は、安珍の美男子ぶりに驚き、一目惚れした。
安珍は、「熊野大社からの帰りにまた必ず立ち寄る」と清姫に約束して、庄屋の家を後にした。
しかし、到着した熊野大社の僧侶は安珍の心の迷いを見抜き、「目を覚ませ」と諭した。
そう、安珍は仏道修行中の身。
女性にうつつを抜かしていてはいけないのであった。
反省した安珍は、清姫と会わない道で帰ることにした。
清姫はそんなこととはつゆ知らず、安珍の帰りを待ち続けた。
待ち侘びた清姫は、ある時旅人から、安珍が別の道で帰ったらしい、という話を聞く。
わけがわからず混乱した清姫は、必死に安珍の後を追いかける。
日高川を渡るところで安珍を見つけると、裏切られたと思った清姫は、赤い火を吐く大蛇の姿へと変身し、安珍を追い続けた。
安珍はやっとのことで道成寺に逃げ込み、釣鐘の中に隠れた。
大蛇となった清姫は、安珍の隠れた釣鐘に体を巻きつけ、真っ赤な炎を吐き続け、とうとう安珍を焼き殺してしまった。
女の執念は怖い……
何という後味の悪い日本昔ばなしなのでしょう。
子どもに「女の人、なんで蛇になっちゃったの?」と聞かれ、何と答えましょう。笑
昔から、「蛇のように嫉妬深い」とか、「蛇のように執念深い」という表現があります。
清姫が大蛇となって安珍を追いかけていく姿は、女性の執念深さを現していると思われます。
好きになった男性への執着を断てず、我を忘れて追いかける女性の見苦しさ。
一体どんな美男子だったんだ、安珍よ。
と思うと共に、どうしても好きな人への想いって、なかなか忘れられない女子は現代でもいると思います。
好きな人への未練が、視覚化すると炎を吹く大蛇のようになっていたらどうしましょう。
特に、感情的になりやすい女性は注意が必要かもしれません。
そして安珍。
そもそも、「帰りに寄るね」なんて軽い口約束をしなければ良かったのではないか、と思ってしまいます。
男の人って、サラッと口約束したことを忘れてしまうことや、適当に流してしまうことがありますよね。
女性の方は、男性の言った何気ない一言を、いつまでも一言一句覚えていたりします。
安珍・清姫から得る教訓
安珍・清姫の悲劇を防ぐために、大真面目に改善点を考えてみました。
安珍側の改善点
①そもそも修行中の身なので、帰り道も清姫に会えるかは分からないことを、事前に伝える強さが欲しかった。
清姫に嫌われたくない、という弱い心に付け入られたのでは。
②途中で心替わりしたのなら、誰か人づてにでも、「修行中のため会えなくなった。ごめん。お元気で」と伝えてあげた方が誠実な対応だったのではないか。
清姫側の改善点
①修行中のお坊さまとは結婚できません。潔く諦める強さを持てなかったのか。
②自分の欲望を抑えることができず、どんなに美しくても心の中がドロドロであることを恥ずかしく思えなかったのか。
このような改善点は残ります。
そうは言っても止められないのが恋であり、人間の心であります。
ただ、愛しいと思っていた人を一転して憎むようになり、焼き殺すほどの執念、というのは、もはや純粋な愛ではないと思います。
本当に相手の事を大切に思っているのなら、そしてこの先に歩む道が違うと分かっているのなら、相手の未来を祈って潔く身を引く。
それもまた大いなる愛だと思います。
言葉にするのは簡単でも、実際に大好きな人を諦めるのは大変なことなのは分かりますが。
清姫のようにならないように自戒しつつ、本当の意味で愛情深い存在になっていきたいですね。
実在する道成寺
安珍・清姫の物語は11世紀の「法華験記」に記され、「道成寺物語」として、能楽・歌舞伎・人形浄瑠璃などで扱われてきました。
物語に出てくる道成寺は701年に創建され、現在も存在します。
道成寺周辺には、安珍・清姫の言い伝えが残っている場所が複数存在します。
ここまでゆかりの地が残っているということは、やはり実在した2人なのでしょうか。
「安珍・清姫の鐘」も妙満寺というお寺に保存されています。
安珍さん、清姫さん、沢山の教訓をありがとうございます。
次に生まれ変わる時には、同じ過ちを繰り返さないよう、2人仲良く頑張ってね。
今回は昔話・伝承という少し珍しい記事となりました。
最後までお読み下さり、ありがとうございました☆
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