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「安楽死」の是非を問う衝撃作。森鴎外の『高瀬舟』
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6月第1作目には、森鴎外の短編小説、『高瀬舟』を取り上げます。
森鴎外といえば、夏目漱石と並んで、日本の文学界に大きな影響を与えた人物です。
『高瀬舟』は、安楽死の是非を問う衝撃作。
本職が軍医である鴎外らしく、新しい歴史小説の領域を開拓した名作です。
森鴎外「高瀬舟」
安楽死の是非を問う、衝撃の短編歴史小説
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森鴎外(1862~1922)
島根県生まれ。
本名、森林太郎。小説家、評論家、劇作家、陸軍軍医、官僚。
東京大学医学部を卒業後、陸軍省に入省し、ドイツに四年留学。
帰国後は、軍医生活のかたわら創作活動に励み、明治・大正を代表する作家となった。
晩年に、帝室博物館(現東京国立博物館等)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども務めた。
代表作品:『舞姫』『ウィタ・セクスアリス』『山椒大夫』『高瀬舟』など
【書き出し】
高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。
徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞いをすることを許された。
〈名言〉
苦から救ってやろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。
(護送役の同心・庄兵衛が喜助の罪状に疑問を持ち、感じていたことです。)
〈あらすじ〉
江戸時代、遠島(島流し)の刑を申し渡された京都の罪人は、高瀬舟に載せられて京都から大阪へと送られた。
罪人の親類は牢屋で暇乞いをすることを許され、慣例で一人が同船を許された。
舟の中では罪人と親類が夜通し身の上を語り合い、護送役の京都町奉行配下の同心は、そばで一族の悲惨な境遇を聞いた。
寛政の頃だったか、春の夜、喜助と言う三十歳くらいの住所不定の男が、一人で舟に乗った。
弟殺しの罪人であったが、眠ることもなく月を仰ぎ、その表情には遊山船にでも乗っているかのような明るいものがあった。
護送役の同心、羽田庄兵衛は不思議に思い、喜助に訊ねた。
「喜助。お前は何を思っているのか。私はこれまで大勢を島へ送ってきたが、みな悲しんで親類と夜通し泣いていた。
しかしお前は島送りになるのが苦ではないようだ」
喜助は微笑んで、次のように言った。
「御親切にありがとうございます。
私はこれまで、京都で非常に苦しい生活をしてきました。
私には自分の居場所がありませんでしたが、お上のご慈悲で命を助けていただき自分の居場所が与えられた、それが何よりも有難いことです。
また、島送りにされるにあたり二百文のお金をいただきました。
仕事でもらったお金はいつも『右から左』でしたが、牢に入ってからは仕事をしなくても食べさせてもらい、牢を出る時には二百文をいただけた。
自分のお金を持つなど私にとっては初めてのことなのです。
この二百文は島の仕事の元手にしようと夢想しています」
庄兵衛は、喜助とわが身の上と引き比べてみた。
喜助はたしかに哀れで気の毒な境涯だが、彼と我との間にどれほどの差があるだろうか。
庄兵衛もまた「右から左」の暮らしで、むしろ、喜助のありがたがる僅かな蓄えさえない。
人の欲はどこまでいっても止むことはないが、喜助は足ることを知り、それを踏み止めてみせた。
庄兵衛は驚きの目で喜助を見た。
空を仰いでいる喜助の頭からは、光が射しているようだった。
庄兵衛は無意識に「喜助さん」と呼びかけた。
「さん」付で呼ばれたのを不審に思ったのか、恐る恐る庄兵衛の顔色を伺う喜助に、庄兵衛は言った。
「お前が島へ送られるのは人を殺したからだ。その訳を聞かせてくれないか」
喜助は恐れ入った様子で小声で話し出した。
「私は小さい頃、両親を流行病で亡くし、弟と二人で助け合って生きてきましたが、去年の秋、弟が病気で働けなくなりました。
ある日、いつものように家に帰ってみると、弟が布団の上に倒れて周囲が血だらけでした。
私がびっくりしてそばへ寄ろうとすると、弟は、
『早く死んで少しでも兄貴を楽にさせようと喉笛を切ったが、息が漏れるだけで死ねない。
この剃刀を抜いてくれたら死ねるだろう。
手を貸して抜いてくれ。』
と言うのです。
私はやっと『医者を呼んで来る』と言いましたが、
弟は恨めしそうな目つきで『医者がなんになる、ああ苦しい、早く抜いてくれ』と言います。
その目は次第に険しくなって、敵の顔でも睨むような憎々しい眼になりました。
私がとうとう、『仕方がない、抜いてやる』と言うと、弟の目の色は変わり、晴れやかで嬉しそうになりました。
私はひと思いに剃刀の柄をずっと引きました。
ちょうどその時、近所のばあさんが入ってきて、あっと言って逃げ出していきました。
気がつくと弟はもう息がなく、役場へ連れていかれるまで、私は目を半分開けたまま死んだ弟の顔を見詰めていました。」
喜助はそう言って視線を膝の上に落とした。
庄兵衛は、「これがはたして弟殺しだろうか」と疑問を感じた。
弟は苦しさに耐えられず、早く死にたいから剃刀を抜いてくれと言った。
喜助はそれを見ているのが忍びなく、弟を救ってやろうと命を絶った。
庄兵衛は、「自分より上位の判断に任すしかない。オオトリエ(権威)に従うほかない。お奉行様の判断を自分の判断にしよう」
とも思ったが、腑に落ちないものがあった。
更けてゆく朧夜に、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべっていった。
次回以降、本格に解説に入っていきたいと思います。
解説テーマは
・安楽死について
・鴎外作品について
などを予定。お楽しみに!
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