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すべてをかけて建立に臨む大工の情熱―幸田露伴の『五重塔』②
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11月第2作目には幸田露伴の代表作、『五重塔』を取り上げます。
五重塔建立に執念を燃やす大工の、芸術にかける名人気質を描いたものです。
仕事に賭ける男の内面や精進の姿も描かれており、『努力論』を書いた幸田露伴らしい作風となっています。
『五重塔』……すべてをかける大工の情熱と執念
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幸田露伴(1867~1947)
江戸(東京)生まれ。
本名、幸田成行(しげゆき)。
小説家、随筆家、考証家、俳人。
電信修技学校卒業後、電信技手として北海道に赴任するが、文学を志して帰京。その二年後の1889年に『露団々』で文壇に登場すると、『風流仏』『五重塔』などで作家としての地位を確立。理想主義文学の担い手として近代文学の一時代を築いた。随筆や史伝においても、優れた作品を多数遺している。
代表作品:『露団々』『五重塔』『頼朝』『努力論』『修省論』『運命』など
【書き出し】
木理美しき槻胴(けやきどう)、縁にはわざと赤樫の用ひたる岩畳作りの長火鉢に対ひて(むかひて)話し敵(がたき)もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女、男のやうに立派な眉を何日掃ひしか剃つたる痕の青々と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとどめて翠の匂ひ一ㇳしほ床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリリと上り……
※あらすじの前編はこちら⇓⇓
【あらすじ】(後編)
五重塔の普請が始まった。
源太は何とか堪えていたが、源太の妻のお吉は収まらず、源太の弟子の清吉に毒づく。ある日、境内の普請場で十兵衛が職人と話をしていた時に、突然、大工道具の手斧を持った清吉が飛び出し、「畜生、のっそり、くたばれ」と怒鳴りながら襲いかかった。
十兵衛は左の耳をそぎ落とされ、肩にけがを負う。
この事件で、源太は十兵衛に謝り、清吉とも師弟の縁を切った。
怪我を負った翌日、十兵衛は妻が止めるのも聞かず、「万が一、仕損じては、上人様、源太親方へ顔がむけられぬ。生きても塔ができねば、死んだも同然」と言って仕事場に出る。
それまで十兵衛を軽んじていた職人たちは驚き、その日から人が変わったように働き出した。
十兵衛の傷が癒えるころには、五重塔は完成に近づいた。
一月末、感応寺の五重塔「生雲塔」が立派に完成し、落成式の日取りが決まった。
しかし、ある夜、急に雨風が激しくなり、夜叉が暴れているかのような嵐になる。
五重塔の九輪は揺らぎ、頂上の宝珠も激しく揺れた。
寺の者は、「これだけ高さのある五重塔は風雨に耐えられないのでは」と不安に想い、十兵衛に等の様子を見に来るよう使いを出す。
しかし十兵衛は、「五重塔は倒れることはない」と突っぱねた。
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