薬師寺東塔はなぜ、「凍れる音楽」と称されるのか?
皆さん、世界遺産の薬師寺の中でも国宝に指定されている東塔、御存知ですか?
1300年もの歴史を持つこの東塔、なんと12年に及ぶ全面解体修理が行われ、2021年に2月に竣工したところです。
全国から、完成した薬師寺の東塔を観たい!と思った方が、次々と足を運んでいることと思います。
薬師寺東塔は、その躍動的な美しさが「凍れる音楽」と称されることもあるそうです。
「凍れる音楽」とは?
気になったので調べてみました!
薬師寺の歴史
薬師寺は白鳳時代の680年、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈って発願されました。
奥様の病気平癒を祈ってお寺ができるなんて、凄い時代ですね!
持統天皇が即位してからは藤原京に移され、平城京に遷都された後の、718年から現在地に建立されています。
約1300年もの間、日本の歴史を見守り続けてきた薬師寺。
1998年には、「古都奈良の文化財」の一つとして、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
薬師寺では、中央に本尊の薬師如来像のある金堂、東西に二つの塔が建っており、その構造は「薬師寺式伽藍配置」といわれています。
しかし、度重なる火災により、実は東塔(国宝)のみが1300年前から現存する建物になっています。
薬師寺東塔が「凍れる音楽」と称されるのはなぜ?
実はこの薬師寺の東塔、「凍れる音楽」とも称されるのですが、なぜだか御存知ですか?
大小の屋根が重なるリズミカルな建築美から、「凍れる音楽」と評されることになったということです。
確かに、東大小の屋根のバランスといい、躍動感といい、東塔の美しさは、目を見張るものがあります。
言われてみれば、1300年の時空を超えて、リズミカルな音楽が聞こえてきそうな気もします。
でも、「凍れる音楽」なんて、そんな究極にオシャレな表現、一体どこの誰がつけたんだろう?
もっと詳しく知りたい!と思ったので、調べてみると……
はじめて薬師寺東塔を「凍れる音楽」と讃えたのは、フェノロサのようです!
フェノロサといえば、アメリカの東洋美術研究家。
明治時代、日本美術の価値を認め、海外に紹介した方です。
「明治時代、アメリカのフェノロサが訪れ、東塔を観た時に、各層にとりつく裳階屋根と大屋根が重なる特異な姿と、塔上の水煙に舞う飛天の流麗さから、音楽が凍ったようで『凍れる音楽』と讃えた」
(参考:『よみがえる白鳳の美 国宝薬師寺東塔解体大修理全記録』 加藤 朝胤ほか/著 東京 朝日新聞出版 )
「凍れる音楽」という表現は誰がつくったの?
フェノロサさん、「凍れる音楽」なんていうハイセンスな表現を、果たして東塔を観た瞬間に、ご自身で思いついたのでしょうか?
気になるのでさらに調べてみると……
「凍れる音楽」という表現は、元々はドイツの哲学者シェリング、文豪ゲーテらが文学的な比喩として使っていたもので、ロマン主義の時代にすでに広く使用されていた言葉だそうです。
シェリングは最初、建築のことをerstarrte Musik(凝固した音楽)と呼んでおり、それが英語になったときにfrozen music(凍れる音楽)と訳されたようです。
建築美を「音楽のよう」と表現するなんて、哲学者の考えることは一味違いますね!
(参考:「凍れる音楽と天空の音楽」藤田正勝(日本哲学史研究11号)
シェリングとフェノロサの接点は?
ところで、建築に対し「凍れる音楽」という表現を用いたシェリングのことを、フェノロサは知っていたのでしょうか?
東京美術学校でフェノロサが「美学」について講義した内容が、岡倉天心によって訳されて残っているそうです。
その中で、フェノロサは、音楽と建築が属することを述べ、建築について「音楽の凍りて形に現はれたる者」と説明しています。
フェノロサは、シェリングの使っていた「凍れる音楽」の表現をご存じだったのですね!
それをフェノロサが、薬師寺東塔を讃える言葉として使った、ということのようです。
まとめ
薬師寺東塔をめぐって、「フェノロサ・岡倉天心・シェリング・ゲーテ!!」
と、文学通・美術通な人にはワクワクするような名前ばかり出てきましたね。
1300年の歴史ある日本の薬師寺東塔が、海外の名だたる方々にルーツを持つ「凍れる音楽」の称号を手にしたこと、日本人として誇りに思いたいです。
薬師寺東塔を訪れる時はぜひ、「凍れる音楽」を体感し、リズミカルな音が聞こえてこないか、耳を澄ませてみてくださいね。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。