二十一年間貫き通した懺悔と許し-菊池寛の『恩讐の彼方に』③
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10月第2作目には、菊池寛の小説、『恩讐の彼方に』を取り上げます。
『恩讐の彼方に』は江戸時代の僧侶・禅海の実話をモデルとして、菊池寛が生み出した創作小説です。
禅海は危険な橋から民の命を守るため、後に青の洞門と呼ばれるトンネルを30年かけて開削した人物。
菊池寛は、言わずと知れた『文芸春秋』の創刊者で、芥川賞・直木賞の創設者でもあります。
『恩讐の彼方に』とは、「情けや恨みという感情をを超えた先に」というあたりのイメージです。
(「恩」は情けを、「讐」は恨みを表す言葉なので、「恩讐」は「情けと恨み」)
主人公の市九郎は、罪を犯して絶え間ない後悔を感じながら生き、やがて救いを得ていきます。
『恩讐の彼方に』……二十一年間貫き通した懺悔と許しの物語
菊池寛(1888~1948)
【書き出し】
市九郎は、主人の切り込んでくる太刀を受け損じて、左の頬から顎にかけて、微傷ではあるが、一太刀受けた。
※あらすじは第一回・第二回の記事をご覧ください。⇓⇓
【解説】
・「青の洞門」をくりぬいた僧・禅海をモデルに脚色
「恩讐の彼方に」の主人公・市九郎(了海)のモデルは、江戸時代後期に「青の洞門」(大分県の競秀峰にあるトンネル)をくりぬいた僧・禅海。
ただし、禅海は、了海とは異なり、托鉢勧進によって掘削のお金を集め、石工たちを雇って堀り、三十年ほどで完成させたそうです。
また、市九郎は主である旗本・中川三郎兵衛を殺害してその妾と出奔したり、茶屋経営の裏で強盗を働くなど罪業を重ねていますが、これも菊池寛の創作です。
自分の過去に罪の意識をを感じて出家し、交通の難所地にトンネルを掘り上げることで罪を償う、というストーリーは、その数奇なる人生ゆえに一気に読者を惹きつけますが、この部分が創作、となると、モデルとなった禅海さんにはやや気の毒なお話かもしれません。
ただ、トンネルを開削する時の並々ならぬ思い、かかる歳月、大変さなどは文学を通して十分に伝わっているのではないかと思います。
・「雨だれ石を穿つ」
『恩讐の彼方に』の主人公・了海は、過去の罪を償うべく、長い年月をかけて一心不乱に洞窟を掘り続けます。
交通の難所にトンネルを掘り続ける作業は孤独であり、最初の方は誰も見向きもしません。
ところが、何年も続けて掘り続けていると、その姿に感銘を受けて密かに応援してくれる方々が増えてくるものです。
「雨だれ石を穿つ」ということわざでも表現されそうな世界ですが、たった一人でも、洞窟を掘り続ける姿に感化され、支援者が拡がっていく姿は、時代を超えて胸を打ちます。
人間の勤勉さ・意志の力の強さが切り拓く奇跡を垣間見させてくれるようです。
・過去の罪は利他の志によって消える?
「恩讐の彼方に」のなかには、かつて市九郎が殺した主人の息子・実之助が「敵討ち」を目指して現れます。
ところが、僧・了海となった市九郎が、悲壮な声で念仏を唱えながら、一人鉄槌を振るい続ける姿を目の当たりにして、実之助は深く感動。
ついに敵討ちではなく、協力して洞窟を貫通させるに到ります。
過去に罪を犯した了海と、その了海に恨みを持つ実之助が、同じ目標に向かって協力し合うことで、最後は手を取り合ってむせび泣く。
この二人の関係から読みとれるのは、利他の志が過去の確執をも超えていく姿。
重い過去があるからこそ、現在を人のために必死に生き抜く姿が光りますし、ラストシーンも非常に感動的です。
菊池寛―文芸界の大家になるまで
菊池寛は作家・ジャーナリストでありながら、『文芸春秋』を創立した実業家でもあり、『芥川賞』『直木賞』をの創設にも携わった文芸界の大物。
人気作家の道のりをご紹介します。
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