地方フリーランスはどうやって仕事をみつけているのか?【月刊(本当は週刊だけど)お気楽フリーランス論Vol.17】東京から佐賀に引っ越したワシの話と福岡在住ライター・ナリシゲさんのお話
すいません、今回原稿を書くのが遅くなりました。なんといいますか、セミリタイアをすると曜日感覚が完全にぶっ壊れてしまい、「毎週木曜日」というルーティンが分からなくなってしまいまして。
というアホのような言い訳から開始しましたが、現在佐賀県唐津市に住んでいる私はかなり快適に生きております。引っ越して良かったです。コロナ騒動が一定の沈静化をしたらぜひ、遊びに来てくださいね。
今回は「地方のフリーランス」という話について書きます。福岡在住のナリシゲさんに寄稿していただきました。ナリシゲさんとは東京で会いまして、年に数回飲んでました。元々同氏と私は同じ北九州市の出身であることが分かり、親近感があったのですがある時、「九州に戻ります」と言い、ナリシゲさんは東京を去りました。ナリシゲさんは今はなき「笑っていいとも!」(フジテレビ系)の「ソックリさんコンテスト」みたいなのに登場したことがあります。「絵の描けないやくみつる」ということで登場したのですが、見事に出演者の皆さんから「ソックリ!」認定をもらったのでした。
ナリシゲさんが福岡に移住する経緯が面白くて、確か2018年の8月だったと思うのですが送別会を高田馬場でしました。もうすぐにいなくなっちゃうのかなぁ……と思っていたのですが、なんとナリシゲさんがいなくなるのは翌年の2月! なんだよ、プレ送別会か! しかし、ナリシゲさんがいなくなる日は刻一刻と迫り、ついに2019年1月、本当の送別会が行われたのですが、なんとこの時ナリシゲさんは痛風のため入院しており、本人不在の送別会を新宿3丁目の中国料理店で開催したのでした。
そんなこんなで長い付き合いになりましたが、私が九州に来たということでさっそく11月13日に博多で九州在住のライター・編集集団「EDITONE」の皆様との会合を作ってくれたのです。
果たしてナリシゲさんはいかにして福岡でフリーランスのライター及びウェブ企画者として生きているのか? そこらへんを今回は寄稿していただきました。その後はワシの佐賀でのフリーランス人生について。
競合プレゼンに勝ちました!
さて、佐賀県庁が公募していたライター系のコンペですが、結果が出ました。「令和2年度記事投稿サイトの活用及びライターを活用した佐賀県の魅力発信等業務委託に係る企画競争の審査結果をお知らせします」。
はい、「契約の相手方」として「株式会社ケロジャパン」が出ております。私と弊社・吉河未布のことです。これから佐賀県の魅力発信業務をワシはやっていきます。公募情報を知り、企画書を提出したところ、勝つことができたのでした。
あ、いずれ今回勝った企画書は将来的に本マガジンで紹介しますね。パワーポイント24枚ほどなのですが、全部jpeg化しておきます。まずは最初の2ページのみ紹介します。
こんな感じで作ったのですが、サラリーマン時代にこの手の企画書はいくらでも作っていたので、作るのは苦痛ではありません。とはいっても無事勝てて良かったです。もしも負けていたら多分相当自信を失っていたと思いますんで。これから佐賀のPR、頑張りまーす!! 企画書の冒頭に「noteおよびメディアを活用した…」とありますが、はい、この中川淳一郎のnoteに「佐賀情報」が加わることになります。それとは別に独自でも佐賀のドメインでnoteは作ることになるかと思います(同じ情報を出す)。
さて、今回もいただいた質問から開始します。「フリーを辞めようと思ったことはありますか?」という質問をいただきました。
はい、辞めようと思ったことはあります。かつて「35歳転職限界説」というものがありました。転職は35歳を過ぎたらもうできない--ほんの2008年ぐらいまではこう言われていたんですよ。今では40歳を過ぎても転職はできるようになっていますが、かつては35歳の壁に皆焦っていました。
私は31歳の時にテレビブロス編集者の仕事を辞め、「はて、これからどうしようかな……」と思っていました。そんな中、ヒューレット・パッカードのPRの仕事をPR会社「ベクトル」の名刺を持って行い、編集からかつて取った杵柄であるPR業に戻ったのです。
この時、「まだまだ人生は長い。多分オレはフリーではもう通用しないのでは……」という逡巡があり、本気で博報堂の中途採用を受けようかと思っていました。この時に「フリーを辞める」という判断を初めてしました。それから約1年は悶々と悩みながらこれからの道を考えていたのですが、翌2006年、突然「アメーバニュース」の編集者にならないか? というオファーをいただき、ネットニュースという未知なる、そしてこれから伸びるジャンルの仕事をGETし、「あ、オレはこの道で食っていく!」と決め、フリーを続けることができました。
ですからはい、辞めようと思ったことはあります。そしてあの時にネットニュース編集者の職を得なかったら恐らく会社員に戻っていたと思います。だからこそ、専門性を持つことって本当に重要なんだと思う次第です。結局「ネットの風を読むのに長けた人」というポジションを得られたからこそ、本を出せ、数々の連載をいただき、こうしてセミリタイアができたわけですから。そう考えるとあの時声をかけてくれたサイバーエージェントのS氏、そして藤田晋社長、そして一緒に仕事をしてくれたFさんとNさんには感謝します。
さて、そろそろ本題に入りますかね。ナリシゲさんの寄稿をまずはどうぞ。地方在住フリーランスの実態を赤裸々に綴っていただきました。いかにして仕事をGETしたか? 地方在住のメリットは何か? 逆に不利な点はどこか? などなど、盛りだくさんです。これから地方移住を考える方には参考になることでしょう。
福岡のフリーライターはどうやって生きているのか
ライターのナリシゲ(@nari_104)と申します。2019年2月に東京都大田区から福岡県にUターンしました。現在は福岡市に在住し、生まれ故郷の北九州市との2拠点で活動中。ほぼ毎週、新幹線で両都市を往復する生活を楽しんでいます。
大学を卒業してから約30年間東京で働いてきましたが、50歳を迎えて今後の人生を考えたときに、東京よりも生まれ育った福岡のほうが過ごしやすいのではないかと考えたことがUターンの主な理由です。
Uターンを決意した理由には、自分が運営しているローカルWebメディアの存在もありました。WELQ騒動の少し後、旅行系キュレーションメディアに検索結果を汚染されていたことに怒りを覚え、2017年5月に自分のブログで「地元に対する歪んだ愛情を全力でぶつけたい。RETRIPのクソ記事滅びろ」を執筆。
この記事がバズったことがきっかけで立ち上げた北九州市のローカルWebメディア「キタキュースタイル」の存在が私の武器になりそうだったことも、Uターンの後押しとなりました。
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