【月刊お気楽フリーランス論sidestory#16 おまけ 会社解散の危機と、解散しなかった理由。】
株式会社ケロジャパンの吉河です。そういえば、ケロジャパンにも【解散の危機】っていうのがあったわん、という話の続きです。4月になっちゃったよ…。。3月で中川の連載は終わっているのに、おまけが漏れて反省しています。よろしくお願いいたします。
話は中川が「アメリカに行きたい」と言い出した時のことにさかのぼります。アメリカ行きの夢はずっと口にしていたのですが、いよいよ「会社たたむぞ!そしてアメリカ行くぞ!」と決意を固め、具体的な方法を模索し始めたのが5年前、2016年のことでした。
「会社」というものにしばられるのが、疲れたのかなあ。
自分の会社なので、一般的な「やりたくない仕事がてんこ盛り」みたいなことは、もちろんまったくありません。でも、自分で会社を持っているということは、利益を出さなくちゃいけないとか、従業員もいるとか、いろいろ気になることがゼロとはいかないわけで…。
自由になりたい中川は、ケロジャパンの身売りを考えました。吉河付きで。…優しさですね(涙)。ケロジャパンの仕事と私をワンセットで、どこかに買ってもらおうという算段です。
そしてありがたいことに、それは悪くない話なんじゃないのっていう会社さんがありました。そこそこ大きな、名のある。
その会社さんからは、ほほう、それはなかなか面白そうだ。じゃあ、買収にあたって話、詰めます? ってな流れになりました。早いなあ流れ。いつもケロジャパンは激流です。そこで2017年、忘れもしないお正月早々、代々木上原の居酒屋に、両社トップが集まりました。
それから何回も何回も膝を突き合わせて、ケロジャパンの売上を全部もってゆけるのか、クライアントの引継ぎはどういう風に進めたらいいのか、副業はOKなのか等々、話し合いを重ねました。
そしてだんだん、買収してもらうために必要なことや、その後の仕事内容などが見えてくるなかで、最終的に、吉河さんはどうなの、いいの、どうしたいの、みたいな話を突きつけられました。
正直、中川はフリーランス推しですが、私は会社員大好き(←)。歯車として円滑に回すことに、結構喜びを感じるタイプです。一回会社を辞めてるけど、独立を考えたわけではなかったし、ケロジャパンがどこかの傘下に入るのであれば、嘘みたいにありがたい話なのは間違いありません。
ただ、会社史上もっとも混乱(たぶん)のなかで、税理士さんともあれこれ話していた時、その税理士さんがふと言ったんです。
大きな会社の社員になる、業務も広がる可能性があるというメリットはあるでしょう。ただ、当然成果がより厳しく問われるようにはなると思われます。また、”自由度”も下がります。
お、おぅ……。ごもっともでござる。ケロジャパンが自由過ぎるともいえる。やべえ、お気楽フリーランス生活が失われるかも。
ここで初めて、私は、ケロジャパン単体での存続を考え始めました。(成果を求められるのにビビッたともいえる。チキン、チキン。)初めて。いつも先のことはノープランだから、自分のことは何も考えてこなかったけど、見方を変えれば、というか、もともと、単純に私ががんばればいいだけの話。
生命保険に入ってるとか、会社をたたむのにもお金がかかるとか、ぶっちゃけ他の手続き(法務局行ったりするみたいな)もめんどくさいとか、まぁそれをいうなら買収の手続きとかめちゃめちゃ大変そう…。
さらにいうなら、中川は、結局なんだかんだ仕事を続けるだろう。ということは、請求書の発行とかどこかへの振り込みとか、税金を納めるとか、確定申告とか、そういった事務を担う誰かはいたほうがいい、私ではなくとも。アメリカに拠点を移すならなおのこと、日本に窓口があったほうがいい。
一番シンプルでスムーズに、「中川が仕事を整理する」という目的に向かって物事を移行できそうなのが、ケロジャパンそのものは解散しないことっていう結論だったんです。
そこで、中川にはこう伝えました。
会社を解散したいのが、仕事を整理したいという理由なら、会社は解散せず、仕事を整理するのはどうだろう。もう絶対にたたみたいんだったら、その手続きをするけど、お金もかかるし、結構めんどくさそうだ。あと、1人になった時に事務作業はしないでしょ。
私のことを心配してくれるのはすごく嬉しいし、ありがたい。ありがとう∞。でも逆に言えば、私がちゃんと表立って歩きなさいよっていう時なのかもしれないとも思う。だから、整理したい仕事は全て私と、これまでの“ほぼケロ”スタッフで引き継ぐから、ケロジャパンはそのままにしておく。っていうのはどうだろう。
一時は「株式も全部譲渡したい!(会社関係のものは)すっからかんに手放したい!」と大暴れしていた中川でしたが、私ががんばるという話に、納得してくれました。中川の下した決断に、私が異なる意見を述べたのは、最初で最後かもしんない。
だから、会社を存続させたのは、私のわがままです。中川くんは当初から「俺、やめたくなったらいつでもやめちゃうよ」と言っていたのにね。まさか自分がこんなことを言い出すとは思ってもみなかったよ。守りたいものになっちゃったよ。
ま、そんな話をしていた頃は、行く先がアメリカじゃなくて佐賀になるとも思わなかったけどね! だから人生は、ケロジャパン史はおもしろいね。
というわけで、ケロジャパンは解散の危機を脱出しました。最後にとりとめもない話になっちゃいましたが、つまり、私はバンバンがんばるので、お仕事なんでもやります書きます、よろしくお願いいたします!(絶賛お待ちしてます!) っていうことなんでした。ん、中川が全然リタイアしてないって話?(っていうかセミリタイアって何?)うふふ、その話は……またいつか!☆(ゝω・)vキャピ
--(お気楽フリーランスマガジンは、これで本当の最後です。ありがとうございました)--
ここから先は
「月刊お気楽フリーランス論」
フリーになってから19年、ネットニュース編集を始めてから14年、本が売れてから11年、そして会社をY嬢こと吉河と始めてから10年。一旦の総…
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?