プログラミングの授業をしても生産性は上がらないし、時間の無駄
いまだに学校ではペーパーテストとプリントによる教育が行われている。
21世期には、生徒はパソコンかタブレットで、授業をするものだと思っていた。
しかしながら、教育の現場は1950年から何も変わっていない。
もはや、国際競争など皆無に等しい。
日本人の識字率の高さは、誇れるところだが、ITリテラシーの低さはもはや壊滅的だ。
ITリテラシーの低い学校の先生が、生徒に何を教えるのか?
今でも、ろくにプロジェクトも経験していないような素人が教鞭をふるっているの見ると片腹痛い。
ただし、プログラミングができなくても教えることはできる。
教えることと、プログラミングができることは別だ。
日本の文部科学省は、素人でも教えられるように学校指導要領を準備している。
先生は学校指導要領に則して教える。それが決まりでもあるし、先生もそれがあると安心だ。ろくなことを教えていなくても、学校指導要領に書いてあれば間違いではないと信じている。これまでもそうしてきたし、これからもそうだろう。
学校指導要領には、何を教えて育むか、どのように教えていくのかなど先生にとってはマニュアルみたいなものだ。それがあるから教えられることもある。
しかし、逆に言うとそのマニュアルが間違っていたとしたら、テストの点数はいいが全く使い物にならない人が育つ。
今でも実際にいるのに、それをまた増産しようとしている。
これ以上使えない人を増やしてどうするのか?
まともなプログラムもろくに書けない素人風情が、何を教えるのか?
そんなもの教わっても、役には立たない。
英語もプログラムも使ってみて初めてできるようになる。
自転車の講義を100時間聞いても自転車に乗れるようにはならない。
それより毎日30分、自転車に乗る練習をして10日もあれば乗れるだろう。
コツを掴むのが早ければもっと早く乗れるようになる。
同じことだ。
私はプログラミング言語を7つ使える。たいていのもは一人でも組み上げられる。
しかしこれは誰からも教わってはいない。学校でも職場でも、考え方を示してくれた人は何人もいたが、座学で勉強した経験はない。
やって覚えるもの。
まずはググれ。
以上。
そんな感じだ。
あとは、プログラミングが好きだからと言う理由も大きい。
好きこそものの上手なれ。
面白さと楽しさを知ってしまうと、時間を忘れ没頭してしまう。
でもそれでいいと思う。知りたいことは、自分で調べることができるのだから、学校で教えられることなど本来ない。
プログラミング教育をするぐらいなら、英語と数学の強化を図るべきだ。
プログラミングの根本的考え方は、英語と数学だから。
英語をちゃんと使えるようなれば、英語での検索や英語の動画など見れるようなりより情報は得やすくなる。日本より便利なツールやモジュール、オープンソースなど山ほどある。それを駆使した方がよっぽど生産性は上がる。
おそらく、プログラミングの授業ではソースの書き方などを虫食い問題で答え合わせしたりするのだろう。
正直、動けばなんでもいい。
動かなかったら間違っているのだから、それを自分で探すのも仕事では重要。
ちょっとしたケアレスミスなども含めて、ミスを減らしていけば生産性は上がる。しかし、学校の授業でプリントに答えを書いて丸をつけてもらうようなことをするのであれば、全く無駄だ。
生産性の最も低いお役人たちが議論して作っているのだから、生産性の低いことを教えていくだけなのだろうが。