愚かな国ニッポン
いつから、これほどまでに愚かな国になってしまったのか?
自由と平等を履き違え、主張に配慮はなく、その後の展開も想定できない独善的な思想を振りかざす。
なぜそんなことがまかり通る国になってしまったのか?
個人主義とは聞こえがいいが、幼稚な議論を繰り返し、その小さな土俵で勝敗を決める事に終始してばかり。
嘆かわしさだけが募る。
政治家もマスコミも、自分達が良けれそれでいい。真の為政者はいない。真の言論はネットの海からしか拾えない。
昔の方が良かったとは言わないが、生きづらくなったのは確かだ。
民主主義の行き着く先は、衆愚主義。
民衆が愚かになった時、民主主義は崩壊へと進む。そしてニッポンは、その坂を転げ落ちている最中だ。
衆愚国家を憂いたソクラテスは、哲人政治を望んだ。
中国の春秋戦国時代の300年の戦いの中で、諸子百家が生まれた。
この混沌とした時代にも、求められている。
しかし、有史以前より人間の本質はなのも変わっていない。政治は腐敗し、国は貧しくなっていく。そして、革命や変革を経て、新たな時代が幕を開ける。
そのサイクルは4,000年以上続いているが、一度たりも覆った試しがない。
ただの一国を除いて1,000年以上続いた国はない。
その一国こそが、ニッポンなのだ。
2021年現在は、皇紀2681年。皇紀は神武天皇が即位した年を元年とし、2月11日は建国記念日として祝日にもなっている。
天皇家は、世界で最も歴史のある王家だと言う事は、海外の人の方が詳しい。世界での立ち位置もローマ法王と同列の扱いであり、世界で唯一エンペラーと認識されている。
そのプリンセスが、逃げるように国を出て、平民と同じ暮らしをさせると言うことは、本来あってはならない。
国としての誇りが、全くなくなった事を意味している。天皇はニッポンの象徴であるのであれば、その象徴を、自らの手で捨てたのと一緒だ。
右翼や左翼などのくだらない議論を辞め、ニッポン人としてどうあるべきかを、真剣に考えなければ、ニッポンと言う国は無くなってしまう。
国を滅ぼすのは、政治家でもマスコミでも、他国でもない。そこにいる人たちなのだ。国民が滅ぼす。
これ以上愚かな国にならんことを願う。