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木村花さんの死に想う

木村花さんの死

木村花さんが亡くなった。
死因は定かではないというが自殺だ。

Twitterで誹謗中傷を苦にしての自殺。

いじめと一緒の構造だ。

しかも、それを大人たちがしている。大人の社会にいじめがないわけではないが、ここまで取り上げられることはそうそうない。

一般人がいじめによる自殺をしても、取り上げられない。
単なる自殺としてニュースにはならない。

取り上げられたしても一瞬だ。そして、誰も関心を持たない。

今回、これだけ問題になっているのは現役プロレスラーだったこと、番組が原因で自殺に追いやられたが大きい。

テラスハウス問題

テラスハウスの制作陣については以前から問題はあった。

セクハラ、パワハラは日常茶飯事、強姦訴訟にまで発展したケースもある。

そうしたことが原因で、フジテレビでは番組が打ち切りになったのだが、それをネットフィリックスが蒸し返した。

ネットフィリックスは海外のリアリティー番組も自社制作で放映していたりもするが、海外のリアリティー番組の出演者の自殺率は半端ではない。

リアリティー番組は、リアルではない

脚本はないが、演出はある。特に、撮影と編集の仕方でそれがくっきりと見えるようにしてしまう。なぜなら、その方が視聴者が喜ぶからだ。

番組制作者としては、その番組が長く続いた方がいい。制作する際に企画から作っていく労力は番組を維持する10倍以上だ。また、人気番組として延命してくれれば、製作者の収入も安定する。売れるかどうかわからない番組をいくつも作るより、売れると分かっている番組を続けた方が儲かるからだ。

そこには、ビジネス上の理由がいくつも存在する。いわゆる大人の事情だ。

22歳。それにしても若い。

脚本はないが、キャスティングはされている以上、そこには意図が働く

よく見せたい人と、悪く見せたい人の立ち位置があった方がストーリーはわかりやすい。
物語は、勧善懲悪ほどわかりやすいものはない。幼稚園のことどもに見せる童話や昔話の9割は勧善懲悪である。要するに小さい子供でもわかるから、勧善懲悪的なストーリーを演出していかなければならない。

そして、視聴者の多くはそのストーリーを見ていく中で感情移入をしていく。それは良く見せたい人の方に。映画でも主人公が決まっているが、悪人であることはほとんどない。悪人が主人公になることはストーリー上あり得ないのだ。

今回のテラスハウスでは、木村花さんはヒール役を演じされられていた。脚本はないが、演出はある。木村さんがブチギレするような演出を行えば、その絵が撮れる。若手のプロレスラーがブチギレる姿はまさにヒールそのもの。プロレスでもヒール役を演じていた彼女のポジション的にもハマ役だった。

制作者側は、いい絵が撮れたと細笑んでいただろう。

しかし、それを見た視聴者の多くは感情移入と正義感によって木村さんを批判した。
批判なら良いがそれがエスカレートして誹謗中傷に至った。

低能な人間は批判することができない

低能な人間は他人を批判することはできない。なぜなら、正確に批判するだけの言葉を持たないから。

Twitterには低能な人間が多く集う。言葉を発信するサービスなのに、文章が短くて済むから低能な人たちには感情を発信するサービスとなってしまっている。

言葉を持たない低能な人たちの感情。それが誹謗中傷だ。

もう一つ言うと、低能な人間に正義を持たせると凶器にしかならない。正義とは諸刃の剣。相手も正義を持っていれば戦いになるが、正義を持たないと虐殺にしかならない。

それは、過去の歴史で何度も繰り返してきたことなのに、低能な人間はそれを知らないから正義を掴んで振り回す。それがいかに周囲に迷惑をかけるか。その矛先が人に向かうと、死人が出る。

低能な人間は言葉を持たないから、馬鹿とか死ねとか、消えてしまえなどと言う事しか言えない。それは、小学生と一緒。それをする人はまさに低能な人間なのだ。

番組の制作にも問題はあった。それ以上に低能な人間が日本になんと多いことか。

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中江兆史
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