育児奮闘記 ~あかちゃん連れの引力~
今日は子どもの体調編として、今まで悩んだことを書こうと思っていたが、実用的な情報番組みたいな記事が続いていたため、ちょっとしたストーリー調の小話を。
見たいよ、見たいよ
散歩やお出かけでは、ベビーカーが主力なわが家。
大体、どこへ行くにしても夫婦ふたりで出かけている。
ベビーカーを押していて、歩道が意外と不便なのは以前書いたのだが、とある別のことに気づいた。
他者からの視線。
ベビーカーを押しながら歩いていると、ある一定の視線を感じるようになる。
それは私たちに対して、ではなく、ベビーカーの中身を見ようとする視線だ。
散歩している時に、すれ違う人の視線を敢えて観察すると、年上の女性たちはほぼ、すれ違い様にベビーカーの中を見ようとしている。
一回遭遇したのが、自転車を漕いでいる女性の方が、すれ違いざまに振り返って覗こうとしていたこともあった。
どれもこれも、決して嫌な視線ではなかった。
希望、楽しみ、そんなような言葉が似合うような視線の送り方で、つい中を見たくなってしまうのだろう。
ちなみに、男性からは、そのような視線を感じることはほぼなかった。
見ちゃうよ、見ちゃうよ
私たちもまた、ベビーカーでの子ども連れをつい見てしまう。
それはやはり、中にいる子どもがどれくらいの大きさで、どのような格好をしていて、どのように過ごしているのか、と、見られたら見たいものだ。
それだけでなく、ベビーカーそのものも見るようにしている。
なぜか。
参考にするため。
どのような防寒具を使っていて、どのようなアクセサリーをつけていて、どのようなおもちゃをつけていて、と、街中のベビーカーは本当に生きた教科書であり、共通していることは多いながらも、それぞれの違いを楽しんでいる。
そして、あまりよくないこととはわかっているのだが……、
首がすわっていて、前向きに座っている子どもは、わが子より月齢が高いはず。
そのサイズ感を見て、ついわが子と比較してしまい、わが子の大きさを実感してしまうのだ。
4000g超えでの出生、とにかく大きい……。
見られたよ、見られたよ
1つだけ、街中で遭遇した印象的なエピソードを紹介。
いろいろなお出かけにチャレンジしていく中で、電車に乗って出かけてみようという話になった。
どこへ行くにしても基本的に私が車を運転して出かけていたが、私が何かでいない時の万が一に備え、妻が子どもとふたりで、電車に乗って出かけられるようにと、その練習をすることに。
そもそも1ヶ月健診が終わるまで、電車に乗るのが数ヶ月ぶりぐらいな私たち。
たった一駅だけど、隣町に行って、昔ながらの商店街で買い物をしようと楽しみにしていた。
当日。
ベビーカーを押して、駅まで片道15分ぐらい。
駅のホームへは狭いエレベーターを使って。
電車が来るときに、子どもと一緒の写真を撮って。
電車に乗る時は意外と段差があるから、ベビーカーを持ち上げて。
電車では、子どもは不思議そうな顔をしながらも、大人しくしていて。
一駅。
たった一駅だけど、
私たちも子どもも、何だか進歩した気分に。
隣町の商店街はチェーン店が多いけれど、その軒並を見てテンションが上がった。久々の電車を使ってのお出かけ。
商店街を一通りまわって、ちょっとした買い物をして、最後のお弁当屋での買い物中、それは起きた。
妻がレジに並び、私が軒先でベビーカーを持って待っていた時。
すれ違い様のチラ見、とか、声かけ、とか、そういうレベルじゃない。
がっつり絡まれた。
「あら、どうも」と老婆……、貴婦人。
絡まれたからには、顔を覆っていたカバーを少し上げて子どもの顔を見せようとしたら、
「いいのよ、まぶしいからね」と。
子どもを見たいんじゃないのか~い。
レジを終えた妻が合流。
結局は子どもの顔を見せることに。
貴婦人
「わたしね、昔、小児科で働いていてね、うんぬんかんぬん」
「あら、ちゃんとね、靴下も履いていて、偉いわね、うんぬんかんぬん」
私たち
「ああ、はい~、はい~」
と、貴婦人、わが子のあるところに注目。
「あら、すごい立派なものを持っているわね、わかる?」
「は、はい?」
「ほら、見て、この立派な福耳!」
貴婦人、福耳でテンション上がる。
「ピアスがすごいよく似合うわよ」
私たちの共鳴する心(福耳褒めてたのに、穴、あけるんか~い!)
というわけで、思いもしないところで、めちゃくちゃ褒められた。
ちなみに、4000gを超えて自然分娩で生まれたことを話すと
「あら、ママ、がんばったのね!あなた(私を指して)、マンションを買っても足りないぐらいわよ!」
と言われた。
そして、別れの挨拶を交わした後、老婆……、貴婦人は、目の前に止まっていた始発の路線バスへと向かっていったのさ。
(バス待ちで絡んだだけか~い!)
めでたしめでたし
そんな視線のお話でした。
これは子どもが生まれて、ベビーカーがあることで変化した周りからの視線、そして、私たちの視線。
子どもが産まれていなかったらわからなかった体験。
次回は、子どもの体調について編か、また、気の向くままに育児生活をお届け予定!
乞うご期待!
きっといつか、誰かの何かに。
番外編:私の母、あれ、見ちゃうよ
生後2日後ぐらい。
産婦人科へ両親とともに、子どもと面会した時。
私の母、わが子を見て、即座に、あれ、見ちゃったよ。
手相。
最初、え?と思ったが、なるほどな、と。
私と母の手相は、少し変わった特徴をしている。
わが子もそうであるかを確認したかったのだろう。
残念ながら、わが子の手相は、母と私とは似ていない……。
もし似ていたら、母に仲間意識がより芽生えていたのかもしれない。
私は全然気にしていないんですけどね。
ちなみに、今日、お食い初めをしてきたのですが、
私が離席中に、母はわが子の手相を確認していたそうです。
残念ですが、手相はそんなにすぐには変わりませんよ、母。