「多様性」について(私の2つの推しが同じテーマで繋がってる?!)

※1/26に<追記>を末尾に記載

このアカウントは、そもそも「中野大好きナカノさん」という中野区の公式キャラを応援するための諸々を書くために作成したアカウントでしたが、衝動的な成り行き(?)で角野隼斗氏について記事を書く事が増えています。

そんななか、1/23の角野氏のラボのテーマは「多様性」でした。(詳細はマナー違反になるので避けます)
角野氏はまさに、ご自身が自由であるために好きを貫かれている、好きを貫かれるために自由でありつづけている、好きと自由を同時に体現されていらっしゃる方だと思っています。(ものすごく大変な事!!)

実は、このナカノさんは、中野区が本気でダイバーシティを目指すために多様性の象徴として作った公式キャラクターです。(Twitterの評判で「中野区攻めてるな!」と結構つぶやかれる 笑)

<キャッチコピー>
「好きなように生きていればたいていのことは気にならない」

<プロフィール>
(前略)
自分が好きだと思うこと以外は、気にしないのがナカノさん。
男なの?女なの? 「気にしたことなかった」。
友だちの数は? 「気にしたことなかった」。
身長は44cm。
「ナカノさん」は、無個性な人形の世界からやってきた球体関節人形です。
(後略)

著名な人形作家清水真里氏によるものなのでドール好きの方が応援されている場合も多いのですが、私は完全にコンセプト推しです。

実際のところ、ダイバーシティが実現できるかどうかなんてわかりません。
ですが、角野氏に対して「誰もできなかった事ができるかも!」という期待を持っているのと同様に、「中野区なら実現可能なのかも?」という期待も持って応援しています(!と?の違いはありますが 苦笑)。それは、地元愛が強いからではなくて、中野区にはマイノリティとして歩んできたという歴史があるためです。(詳細は「中野大好きナカノさんがちょっとコワイ意義」

NHKでシリーズとして放映されている「ズームバック×オチアイ」で(どのテーマか忘れてしまったのですが)落合陽一氏が多様性・ダイバーシティについて語られていた事があります。(調べてみたのですが、どこにも記載がなかったので…記憶が間違えているかもしれません)
「ダイバーシティは、誰もが皆心地良く過ごせる社会なのではなく、誰もがみんな少しずつ不快感(違う言葉かもしれません)を受け入れる社会のこと」として、その不快感をも含めて「みんな違ってみんなどうでも良い(「ダイバーシティ・ファッションショー」の記事をリンク)」という事だと。そして、社会においてマイノリティ側がその権利を主張しすぎる事は、そのマイノリティの方々だけが心地良い社会を目指す意味で、結局マジョリティだけが心地良い現状社会と構造的には同じ、という様な事もおっしゃっていました。(繰り返しますが、記憶間違いの可能性があります)
落合氏のおっしゃる事は本当にその通り!!と、すごく納得したのですが、ただ、ちょっと冷たさを感じてしまいますよね。。。(ものすごーく頭が良い方についていけない感じみたいな、、、)
あと、この論だとマジョリティの方々にとってはダイバーシティには全くメリットが感じられません。実際にはもうその方向に進むしか人類が生き残る道はなかったとしても…。

一方、ナカノさんも、落合氏と同じく社会に違和感や不快感が存在する前提に立っています。ただ、「どうでもいい」と無関心になるのではなく「好きなことが沢山あれば、嫌な事も気にならない」という他要素からのプラス思考が見えることで少し気持ちが楽になってきます。
そして、自分の好きを追い続けることができるのは、その自由があるからだという事も示してくれます。
多様性を受け入れる社会が多少の不快感とともにあるというだけだったら、多くの方にとっては今のままの方が良いとしか思いませんが、好きなように自由に生きるってどんな人にとっても何にも変えられない最も大きなメリットだと思うのです。

先日、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀「となりのプロフェッショナル~推し活の流儀~」の放送がありましたが、ご出演の皆様はそれぞれ大変な事があっても好きな事があるから頑張れる!という様な内容でした。
個人と社会のあり方とは厳密には違うものですが、「好き」がマイナス面を軽減してくれるという所では似ているのではないでしょうか。(「生き甲斐搾取」や「不幸な生活環境の放置」につながる危険性は孕んでいますが)
実は、今回もまた角野氏ファンの方が情報をつぶやいて下さってことで後からNHK+で拝見することができたのです。本当に感謝しかありません!!!(ファンの方々は皆様本当に素敵な方ばかり)

コロナ禍で様々な考え方や価値観の方がいらっしゃる事が顕在化し、それそれの立場を思考的に理解する事をより求められる時代になりました。
ただ、多様な考え方や立場の方々それぞれの心情を理解し合えるかといえば…現実的には難しいと言わざるをえません。
心情の理解は無理でも立場を理解すれば違和感や不快感は小さくなりますから、それが最も大切な事です。けれど、完全に違和感や不快感を抱いてはいけない、立場を理解すれば違和感や不快感は生まれない、という思想になると、理想を追い求め過ぎでちょっとストレスがたまりそうです。
だったら、ほんのちょっと違和感・不快感を抱いたとしても気にせずに、誰もが自由に「好き」を追い求められる社会を目指す方が健全なのではないでしょうか。(角野氏も「多様性を理解」という様なメタ認知で語られていて、人同士の理解についてはそれほど強く語っていなかったように思います)
「好き」は角野氏のピアノ演奏という所で一致しているのですから、もう、それで十分、大丈夫だと思うのです。

ここまでのところ、角野氏のことよりナカノさんについての方が多くなっているようで…著名な方のお名前を利用しているだけのような引け目も感じてしまいますが(「推しを利用しない」という部分でのプライドはあるつもりですが、さすがにちょっと不安になってきた)角野氏がコンサートの折り返し地点で、ラボ内でわざわざ「多様性」について語られた事の意味を考えさせていただきました。

内容的には年寄りのお説教みたいなものになっているのかもしれず少し心配ですが、以前に書いた「能と角野氏の表現が似ている!」とか「高木正勝氏と角野氏の対談が実現して嬉しい!」とか、「推し」が自分の興味がある分野に重なってくるような嬉しさ・ファン心理で書いたと思ってくださると嬉しいです。
明日、誤字脱字に気づいて直したりすると思いますが、とりあえず勢いのままアップします。(翌日に読むと恥ずかしくなって投稿しなくなるから…)すみません。

コンサート後半、全日程が無事開催できます様に。
多くの皆様が角野氏への「好き」で繋がります様に。


なんか夢みたいな事が起きていたような…
ありがとうございます。

<追記>

1/24にラボでリベンジの配信がありました。
言葉を選びすぎたという事だったので、同じ対象について今度は「好き・嫌い」で言及されていました。
私が感じたのは、ラボ会員の皆様の事を角野氏がとても信頼されていらっしゃるという事。「言葉を選びすぎた」というのは、ラボ内での話なら遠回しに言葉を選ぶ必要などなく、正直にご自身の「嫌い」を話した方が伝わるという事だったのでしょう。「嫌い」を自由に話せるというのは信頼感があって事です!

その時点でこの記事を削除する事も考えたのですが、今後もご活躍が広がる可能性を考えると「好き → 他は気にならない」の関係性は残しておこうかな…と。
そもそもこのnoteをご覧になっている方は少ないので、自戒としての意味が強いかもしれません。