レモン2

[推理小説] 少年ナイフと完熟レモン  第一話 5分の1の行方

☆7つのノートにまたがってますが、小説は最後まで無料で読めます (最後のノートは投げ銭式です) 目次はこちら その1はこちら

 その3 放課後の井上君

 午後の授業もたっぷり寝た放課後の教室、ひとりで数Bの演習問題を解いていた。いちにっ、さんしー。にーにっさんしー。どっかの運動部のかけ声が、遠くオレンジ色の空に響いている。自分が動かないのに、汗だくになって走ったりしてるやつがいるのは気分がいい。

 ねっとりとした初夏の気温に喉が渇く。家から持ってきた変な俳句が書いてある緑茶のペットボトルは、空になって机の上に置いてあった。掃除当番がさぼったせいでクラスのゴミ箱は満杯で入らないし、うちの学校は廊下にゴミ箱がないし、他のクラスの教室に入るのも気まずい。

 早くゲーセンに行きたかったが、夕飯のあてがあるので時間をつぶしていた。どうやら料理自体はもう出来てるみたいだったけど、先輩以外の4人の調理部員がどっか行ってくれないと食べに行けない。変な噂が立つにしろ、先輩とってのは勘弁してほしい。オレにもプライドがある。

 クラスの後ろで遊戯王をやってる4人のクラスメイトたちがいて気が散った。4人で同じ山からカードをとって、オリジナルの4人対戦プレイをしてる。エクゾディアパーツとか入ってるけど絶対揃わないだろ、それ。

 外が暗くなったせいで、教室の白い明かりがぼうっと浮かび上がっていた。ここらか見える調理実習室には先輩はひとりで、後片付けをしている。そろそろ食いにいこうか。オレは教科書を鞄にしまいファスナーを閉めて、椅子から立ち上がった。

 そのとき、廊下がキャッキャと響いた。コウモリの群れか、女子の一群だろう。少しずつまばらな足音が大きくなり、近づいてくる。そして足音と会話は、この教室の前まできて止まった。そして教室の扉が開く。

「死ねよ。アジャ本当に気持ち悪いんだけど。あの人、調理部やめないかな」

 穏当でないことをいいながら入ってくるのは、汐澤さんだった。こういうことを言いそうだなとは薄々思ってたけど、言ってるのを聞くと実際ビビる。

「せんぱーい、アジャとか呼んだらダメですよ。部長なわけだしほら、一応」

 調理部の背の低いおかっぱの女子が言った。日本語としてはたしなめるような文意だが、語感は完全に焚き付けてる。

 アジャと言うのは調理部員たちがつけた小野先輩のあだ名なんだろう。アジャ・コングから来てるんだろうけど、やっぱり正直センスがない。

「綾野も汐りんも、もういいじゃん。アジャがやったって決まったわけじゃないし」

 だから先輩は色黒でもないし、変な緑のメイクをしてもないだろ。体型だけで適当に芸能人のあだ名を持ってくるんだな、こいつら。あの優しげな眼差しまでカバーできてる、オレのこぶ平とは正直、勝負にすらなってない。

「夏木先輩、とりあえずこの教室にいる人に聞いてみましょうよ」

「杉山も、もういいじゃん。面倒くさいよ」

 夏木さんの発言にも関わらず、汐澤さんは遊戯王をやっている男子らに近づいて言って聞いた。

「ねえ、昼休みから放課後の間に調理実習室にだれかいなかった?」

 4人組は顔を見合わせた。そして口々に知らないと答える。あまり女子とかかわったことがない男子たちなのか、妙に受け答えがドギマギしていたのが痛々しかった。

 埒があかないとわかると、汐澤さんが今度はこっちを見た。そして、ずんずんと近づいてくる。少し湿った髪を振り乱して怒りに震えている。やばい、ちょっと待って。そんなに急に来るなよ。焦るわ。

「何か見てなかった?」

「えっとさ。ほら、寝てたし」と、短く答える。

 大丈夫か、少し素っ気なさすぎたか。睨みつけるような目線を浴びせてくる彼女が怖かった。そこに、ぽんと軽やかなタッチが肩を叩くのを感じた。夏木さんだった。

「ほら、井上君は夜が本番だから」

「何だよそれ」

 夏木さんの言葉にぷっと笑い出す調理部員たち。すぐに周りを囲まれる。ていうか、なんかオレ馬鹿にされてる?

「井上君、英語の時間に朗読当てられた時言ってたじゃん。あれ、寝ぼけて言ってたの?」

 小馬鹿にするような言葉遣いで汐澤さんが言った。カッと心臓が熱くなるのを感じた。あの夢の中の自己紹介、口に出てたのか。ヤバいヤバい、痛すぎるぞ。何が本番だよ。

「すげえ聞きたくないけど、黒須はなんて言ってた?」

「お前の人生に本番なんかこねえよ、とか言ってた」汐澤さんは似てないクソみたいな物真似を挟んで答える。

 終わった。いつも気のいい兄貴を気取ってる黒須が、そんなことを言ってるのを想像するだけでぞっとした。どーしよ英語。赤点とっても見逃してもらえなさそうだ。きっとクラスで変なキャラがついたし、最悪だ。

「ねえ、夜が本番って何ですか?エロい意味ですかあ?」

 つり目でおかっぱの、綾野とか呼ばれてた一年の女子が顔を近づけて笑った。初対面の後輩にまでからかわれるなんて。きっと、調理部でそれを話題に、オレをバカにして盛り上がってたんだろう。

「ていうか、なんで傾けてんの。ビートたけし?」

「寝違えただけ」

 ......だ、コノヤロウ。まで言った方がよかったかな。いや滑ってただけかもしれない。

 女子は苦手なんだ。こう言うとすぐに、女子と絡めて嬉しくないのか言ってくる奴がいる。いや、実際なんかうれしいのは認める。ただ、それで妙にそわそわしたり、顔が赤くなったり、下半身がどうかなったりする自分自身と向き合うのが苦手なんだ。

 後ろの4人のデュエリストからの白い目も気になるし。とりあえず、話題を変えよう。

「てかさ、なんか調理部であったの?」

 このなかでは一番大人しそうで地味めな、後輩らしき女子に聞いた。確かさっき杉山とか呼ばれてた子だ。この子なら若干上から目線でイける。調理部4人のなかで唯一スカートがミニじゃないのは、残念だ。

「昼休みにみんなでカットしたスポンジが、放課後に開けてみたら冷蔵庫からなくなってたんです」

 わりかし面倒なことが起きてたようだ。教室の時計を見るともう午後の5時半だ。

「じゃあ、この時間までスポンジを探してたわけ?」

 汐澤さんが首を振った。

「ちがうよ。スポンジをデコレートしてたんだよ」

「いやいや、そのスポンジがなくなったんでしょ?」

「だから」オレの言葉に被せてくるように、夏木さんは言った。若干キレ気味なのにびくついた。

「一切れだけなくなっちゃったんだよ。5つに切ったうちの」

「一切れだけ?」

「そう、一切れだけ」と汐澤さんは言った。

「小野先輩がやったんですよ、部長の。ひどいと思いません?」

 綾野さんが机の上に両手をのせて、疑問系で聞いてくる。こういう平気で人を利害関係に巻き込んでくる態度がうざったい。

「先輩の分まで含めて5切れつくったんです。でも、きっと先輩としては鬱陶しかったんでしょうね」

 杉山さんが語尾をフェードアウトさせながらそう言った。

「知らないけどさ、その人がやったって言う確証があるわけ?」

「あるよ」と言って、汐澤さんは続けた。「ほんと小野先輩って最悪なの。今まで我慢してたんだけどもう限界。あの人、なんていうのか、なんか勘違いしちゃってるんだよね。部でケーキを作るって決めてるのに平気で参加しなかったり、私は人と違うんだーみたいな?前回どうしても出たいって言うから、コンテストでるのにもつきあってあげたんだけどさ、県内で最下位になっちゃったわけ。恥ずかしかったあ。身の程を知ろうよって感じ」

 汐澤さんは、髪をくるくるといじりながらそう言った。こいつは身の程だとか、恥だとかを気にして生きてるんだな。

 どうでもいいけど、話がかみ合ってない。心証を聞いたわけじゃないんだけど。

「だからさ、その人がやったって誰か見てたの?」

「でも、調理実習室の鍵を持ってるのは部長の小野先輩だけなんです。もちろん北棟の特別教室の鍵は職員室で借りれますけど、私たちが昼休みに使って次に放課後に借りに行く間、誰も使ってないみたいなんです。鍵を借りるときノートに記入しなきゃいけないんですけど、私たち以外の名前は書いてなかったので」

 理路整然としゃべってくれる。この中では一番話が通じそうだ。

 結局は小野先輩がやったってことなんだろう。そういう嫌がらせみたいなことする人なんだな。ほんの少しだけだけど、残念な気持ちがわいた。

「じゃあ、小野先輩って人はやったって認めた?」

「何も知らないってさ」夏木さんが首を振った。

「今更何しらばっくれるてるのって感じ」汐澤さんはそう言って、「調理実習室は私たち二年の教室から丸見えでしょ。だから誰かが見てたんならいいんだけど」と続けた。

 教室から丸見え。そうだ、今は先輩はどうしてるんだろう。調理実習室を見ると既に部屋の灯りは消えていた。先輩、帰っちゃったのか。それはそれとして、確かに電気が消えた今でも調理実習室は中まではっきりと見える。

 そのとき、急に脳裏でとある光景が浮かんだ。自分の操作するアレックスが大キックを空振りしたとき、結構離れてると思ってた相手のダットリーのローリングサンダーが刺さるシーン。

 そうだ、そのスポンジゲーキには確反があったんだ。

その4はこちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?