魚屋4代目の話 15話
茅場町の現場は若い人が多く、男10人女10人で呑み会をしたこともありました。仕事が21時くらいに終わったらまだ早いから、これから呑みに行きましょうてな具合で。なんかいい時代でしたね。
私が中途採用の新人研修の先生をした時は、プロジェクトが火を吹いている現場の手伝いもすることになったので、昼は研修、定時後は仕事でなかなか眠る時間が無かったです。その研修も終わり、新橋辺りで新人さんと一緒に私の奢りで呑み明かしました。最後は私もお金も無くなり新人さんにお金を出してもらいました。
この時、私が取得する唯一の国家資格である第2種情報処理技術者を取ることができました。今はこんな資格はありませんが。
中途採用の新人で茅場町に配属した後輩は、後にメヒコに渡って飲食店を出しました。現在も来日した時に会ったり、連絡を取り合っています。
私は仕事を頑張った人の中から抽選でシドニー支社、ゴールドコースト支社に研修旅行に行かせてもらいました。湾岸戦争が起きた頃の初めての海外でした。
姉が実家に帰るということで、私が姉のマンションに住むことになりました。場所は池ノ上駅からすぐのところでした。
4年9ヶ月勤めた後、転職しました。同期の中では遅いほうでした。同期とその友人が作った会社です。その友人が社長です。会社は渋谷にあります。
最初の仕事は、まだ「のぞみ」の名がついていないスーパーひかりの運転本数を計算するシステムでした。
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