新卒獣医師のための診断アプローチ:はじめに
私が臨床家になりたての頃、比較的獣医師の多い動物病院で働いていました。当時は「見て覚えろ」「自分で勉強しろ」ということで、あまり積極的な指導を受けられないでいました。特に診察の進め方については大学の内科の授業で簡単に説明があったくらいで、実際に現場に出た時には、本当に闇雲に診察をしていました。経験を積めば誰でも診察できる。それはそうかもしれませんが、経験だけでは掴めない系統的な診察の進め方があるはずです。
様々な診断アプローチのある中で、現在最も利用価値の高い診療記録方法であるPOMRを本書では採用しています。POMRとは、Problem Oriented Medical Record(問題指向型診療記録)の略。診断までの流れは、基礎データの収集、問題の分析・リスト化、問題解決のための計画の立案、計画の実施・経過記録の4点に集約できます。この4点はそれぞれが独立しているわけではありません。問題の分析・リスト化には鑑別診断などが含まれており、本書には書ききれない項目も多々あります。本書は診察を進めていくにあたって、重要な項目のみを解説しました。また、本書より他に素晴らしい診察手段や方法もあるでしょう。しかし、本書の目的は、「新卒獣医師」が診察に入るまでに、勉強しておかなければならないエッセンスを、凝縮し分かりやすく解説することにあります。本書を手にした新卒獣医師が少しでも診察に自信が持て、飼い主ならびに動物にとって幸福な時間を提供できることができれば幸いです。
よくあるストーリー
あなたは新卒の獣医師です。国家試験に合格して小動物病院に就職しました。比較的獣医師の多い、診察室が3つある大きな動物病院です。残念ながら同期の獣医師はいません。先輩獣医師は4名おり、看護師は8名います。動物病院の所在地は都心から離れた郊外です。1日の症例数は約60件ほどで、犬が6割、猫が4割、まれにうさぎやフェレットも来ます。そのほかにもフードや薬を取りに来院される方も多くいます。朝9時から診察が始まり、12時までが午前中の診察時間。昼間の時間は手術や預かり検査の時間で、午後の診察は16時から19時までです。病院の方針として獣医師の1年目は診察に出ることはなく、診察や検査の補助をしていきます。
「〇〇先生、保定してー。」「〇〇先生、採血してー。」「〇〇先生、内服作ってー。」「〇〇先生、〇〇してー。」と様々な依頼があります。その依頼をこなしつつ徐々にではありますが、技術も知識を蓄えられていきます。たまに、診察の補助の時に先輩の獣医師とともに診察室に入り、先輩獣医の話し方や診察のすすめかたなどを聴きながら自分なりに消化しているつもりです。ただ、獣医師によって診察の進め方が異なり、だんだんどれが良いのかわからなくなって来ました。そこで一人の先輩獣医師に尋ねてみました。「先輩はどなたに診察の仕方を教わったのですか?」「いいや、教わってないよ。なんで?」「なんとなく先輩方の診察を見て来ましたが、それぞれに違っていて、自分はどうすればいいのかがわからないんです。」「話し方?それとも診察の進め方?」「診察の進め方です。」
データベースの作成
診断をつける作業は様々で、その一つ一つが重要です。飼い主が受付に、「主訴」となる来院理由を告げ、飼い主の情報、患者の情報、身体検査、問診、診察・検査、除外診断や試験的治療を経て最終的に確定診断へとつながります。
診察の始まりともいうべき情報収集は、診察室に飼い主を通す前に行われます。一般的な動物病院では、来院時に「受診票」、「問診票」、「チェックシート」を飼い主に記入してもらうでしょう。これにより、飼い主の氏名、住所・電話番号、動物の名前、動物種、性別、その他諸々の情報を収集します。
ミニマムデータベース
ミニマムデータベースとは、「最低限の情報」のことで、診察を進めていく上での基礎となる部分です。ここではミニマムデータベースの、「主訴」、「患者情報」、「ヒストリー」、「身体検査およびバイタルサイン」について概略します。
主訴
主訴とは、「来院した理由」のことで、問題点を認識するための最初の情報です。獣医学的に主訴は、「動物からの情報」ではなく「飼い主からの情報」であるので、それが正しい観察に基づくものであるかを獣医師が聞き出す必要があります。
主訴を問診票などで聞き出す場合や直接対話で聞き出す場合も、「本日はどうされましたか?」、「本日はどのような診療を御希望ですか?」などの様に質問します。その後に追加の質問でその観察が正しいものかを判断します。例えば、「吐き気がある」との主訴では、飼い主の認識では「吐き気」ですが、よくよく聞いてみると「咳」をしていた、ということもよくあります。また、「元気がない」ということも、飼い主の主観ですので、本当は「お腹が痛い」のかもしれません。「元気がない」という主訴では、「お腹が痛い」かはわからないので、追加の質問や触診が必要になります。
患者情報
飼い主の情報
住所や職業:居住地の地理的要素や職業的関連性を把握するため(獣医学領域では飼い主の職業はあまり関連性がないと思いますが)に必要です。都会と田舎では疾患の発生頻度が大きく異なります。例えば、寄生虫疾患は都会ではほとんど発生が認められませんが、田舎の方では鑑別の上位に持ってくる必要があります。呼吸器疾患なら、家族の喫煙歴も聴取した方が良いかもしれません(腫瘍との関連性もあるかも?プライバシーに配慮してください。)。喘息の猫が飼い主の引越しで良化した症例もあります。
動物(患者)に関する情報
動物種:動物種毎の病気の発生頻度が異なるために必要です。
品種:品種好発性をみるために必要です。
年齢:年齢好発性をみるために必要です。
性別および去勢不妊の有無:性差、生殖器疾患の除外もしくは考慮するために必要です。
ヒストリー
必要な項目を、簡単な方法で、どの初診例からも、もれなくとることが重要です。
現病歴:主訴がどのような経過か聴取します。
急性なのか、慢性なのか?
急性ですか?と聞いても飼い主には定義がわからないので「いつからですか」と発症の時期を聞きます。
進行性なのか、再発性なのか、散発性なのか?
徐々に悪化しているのか?(進行性の判断)
以前にも同じ症状があったか?(再発性の判断)
症状は常に出ているのか?(散発性の判断)
ポイント!
問診でさらに細かく聴取するので、簡単に。
既往歴
内科疾患:外科以外の疾患の有無、その発症時期、その疾患の診断と治療
今まで病気をしたことはありますか?
それはいつ頃のことですか?
その病気の治療はしましたか?
今は完治していますか?
輸血歴の有無
輸血されたことはありますか?
注射、薬のアレルギー歴の有無
注射や薬でアレルギーが出たことはありますか?
未避妊メスならば
最終の発情はいつでしたか?
出産歴はありますか?
外科疾患:避妊去勢手術の有無とその時期
避妊去勢手術をしていますか?
それはいつ頃のことですか?
外科疾患の有無、その発症時期、その疾患の診断と治療
避妊去勢以外の手術をしたことはありますか?
それはいつ頃のことですか?
創傷:怪我の有無、怪我をした時期
怪我をしたことはありますか?
それはいつ頃のことですか?
ワクチン・ノミダニなどの予防歴
ワクチンの接種歴:ワクチンの種類と最終接種時期
ノミダニ予防歴:予防薬の種類と最終投与時期
フィラリア予防歴:予防薬の種類と最終投与時期
猫のウイルス検査:ウイルス検査の内容(FeLVもしくはFIV)と、その判定(陽性か陰性か)および最終検査時期
飼育環境や同居動物
入手経路:ブリーダーから、ペットショップから、など
飼育環境:室内もしくは室外飼育、またはその両方
散歩・外出はするか、するならば散歩・外出の頻度
猫の場合、室内飼育といっても外出が自由であったりするので「外出しますか?」と具体的に聞きましょう。
同居動物の有無:さらに同居動物に同様の発症がないか?(人間を含む)
食事内容
家庭内調理なのか、一般食なのか、処方食なのか?
おやつを与えているか?:おやつを食事ととらえていない飼い主もいます。
人間の食べ物を食べるか?:管理者自身が与えていなくても同居家族が与えているかもしれません。