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【ヨルシカ ライブ感想】人生は走馬灯だ
おことわり
本記事は、2022/03/31までに行われたヨルシカのライブ
「月光 再演」の感想を含めたものになります。
ネタバレなどが含まれるため、ご注意ください。
要旨
かねてより僕の人生に衝撃を与えてきた、「ヨルシカ」と言うバンドの
ライブツアーに参加した。
ここで受けた衝撃は、そのままにしておくには実に勿体無いと思う。
ライブ内容の考察というより、ライブを受けて
何を感じたかを書きたくなったので、書いてみることにする。
神様は月明かりと共に居た
僕は、確かにそこに月明かりを見た。
壇上の神様は月明かりのもとで、荘厳に、嫋やかに、歌った。
ヨルシカ LIVE TOUR 2022 「月光 再演」は
n-bunaさんの一声を皮切りにはじまった。
美しい映像とバックバンドの緻密な演奏、
n-bunaさんの渾身の語りとsuisさんの超越的な歌声。
全てが折り重なった東京ガーデンテラスは、
もはや彼らの支配下において他ならなかった。
言葉で、映像で、演奏で、歌声で。
息吐く間もない程の衝撃の応酬に、
ライブ中体力や精神力が保つかとても心配になった程だった。
そしてあの場所は、間違いなく夜だった。
強烈な思想や覚悟によって形作られたあの空間は、
生半可な幸せなど存在しなかったに違いない。
そんな場所にこそ、月明かりは差すのだ。
月明かりを模した照明に照らされたsuisさんは、
間違いなく僕のとっての神様だった。
そんなほの暗い場所に煌々と浮かぶ彼女は、
また僕の月明かり足り得るには充分だった。
そう、神様は月明かりのもとで歌っていた。
人生は走馬灯だ
ライブ終盤、トリを飾る楽曲「だから僕は音楽を辞めた」の前。
n-bunaさんは語りでこのような趣旨のことを言った。
これまで見てきたものは、全て走馬灯だった。
記憶が定かではないので正確ではないが、
死に際の青年の心情として、このようなことを言ったのだ。
そう、人生は走馬灯なのだ。
僕が生きているこの人生が走馬灯の上のことではないと、
誰も証明することはできない。
この瞬間起こっていることは、
すでに走馬灯の中でのことだったら。
ほんの一瞬の、ひどく矮小な、取るに足らない、
そんなものに過ぎないものだったら。
そうだとしたら、僕らはもう死ぬ間際なのかもしれない。
そんな海底のような死の淵から、
僕らは何を見るのだろうか。
照らしてくれる月明かりは、あるのだろうか。
それがこの走馬灯の中の何にあたるのだろうか。
見つけようとせずに終わらせるには、
この人生はあまりにも勿体無いと思う。
ヨルシカが、彼らが与えてくれるのはエネルギーだ。
それを受けた僕らは、エネルギーを使わなくちゃいけない。
彼らに魅せられた僕は、
これからも考えることを辞めずにいたいと思う。
例え誰も見ていなくとも、自分なりに、
月明かりを探すのだ。