的を得る=「ターゲットロックオン」・的を射る=「ファイヤー、ちゅどーん、ヒャッハー!!」と言う話

「的を得る」「的を射る」この2つの言葉は、大元をたどると
「不失正鵠」(正鵠を失わず)という言葉にたどり着く
辞書で調べると、「正鵠」とは的の中心の事、失わずは失うの否定、
「失う」の対義語は「得る」と言う事から「正鵠を得る」と言う言葉が
でき「的を得る」と言う言葉ができた。
判っている範囲で「的を得る」の初出は江戸時代まで遡る
その後、「的を射る」と言う言葉ができた
判っている範囲で「的を射る」は明治時代の辞書である、
ちなみにその辞書には「的を得る」は無い
なので、おそらくは言葉のプロが「的を得るってなんだよ、的は射るものだろ!」ってな感じで当時の辞書に「的を射る」だけ掲載したと思われる。

さて、ここ迄は軽く流しておいて構わない
私が書きたいのは、「的を得る」「的を射る」の意味

「不失正鵠」の所で、「正鵠」とは的の中心の事とあったが、
表現するのならば、獲物の急所の事の方が正しいと考える
そして失わずなのは、「射る」前の話だから
物事の本質を、的に見立てて正確にぶれる事なくずっと捉えている様を
「不失正鵠」「正鵠を得る」「的を得る」と言う
まさに、「ターゲット、ロックオン!!」が的を得るなのだ

一方、的を射るは、物事の本質を、的に見立てて、ズバット射貫く事にある
だから「ファイヤー、ちゅどーん、ヒャッハー!!」である

さて、この2つの言葉の違いの話をすると、両方とも物事の本質を的に見立てていて「狙っている」か、「矢を放った」かが違いとなる

言葉の意味的に、この両者の違いは無いように思えるが、違いが出てくるとすれば、その否定形に出てくる

「的を得る」の否定は、「的を得ていない、的を失う」となる
ターゲット(的)が動く事で、ロックオンが出来なかったり
ロックオンが外れる様を考えればそうだろう

一方、「的を射る」の否定は、「的はずれ」となる
「的を射ていない」はファイヤーしていないと捉える事が出来る
実際には、的を射たか、的を外したか しかないだから「射ていない」
では無く、「的外れ」と言うべきである
間違いとまでは言わないが非常に紛らわしい言葉である
私は的を射ていないは使わない様にしている

では、どうして「的を射ていない」と言う人がいるのかと言うと、
元々「的を得る」を使っていて「的を射る」が正しいと言う情報を得て
「的を射る」に直した人が、その否定で使う時に「的を射ていない」とか
言う事をするからだと思っていたのだが…

そもそも、なんで、noteでこんな話を書こうかと思ったかと言うと、
TVであるタレントが、「的を得てないなーと思った」と言っていた
でも、その字幕には、「的を射てないなーと思った」に直されてた
いや、的を得るは正しい日本語です(辞書には載ってないけど)
それを、辞書に載っていないと言うだけで、間違っていると判断し
字幕を「的を射ていない」と直す

TV局はバカなのか?
「的を得てない」又は「的外れ」と直すべき言葉であり
「的を射ていない」この言葉こそ正しくない言葉だと思っている私には非常に不可解な出来事だと思った


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