プレゼンテーション1-1

大混乱の中東 Part 5

 こんにちは。Naokiです。
 前回の投稿からかなり時間が空いてしまいました。。。
添乗が続き、初めてのデスティネーションが連続し、その勉強やら準備やらでてんわやんわでした。
 前回は、厳格なイスラム教の教えを貫くサウジアラビアに、アメリカが侵入してきたことに反発したビンラディンが国外追放され、湾岸戦争が集結したところまでまとめました。今回はその後のビンラディンの動きと9.11テロまでのシナリオをまとめます。

かつて自分が戦ったアフガニスタンで反米テロ組織を結成、そして9.11テロへ

 以前まとめたように、アフガニスタンはパキスタン主導のタリバン政権の支配下にありました。そんなアフガニスタンにかつて共に戦ったビンラディンが凱旋しました。ソ連を相手にビンラディンと一緒に戦った昔の仲間たちは、ビンラディンらを歓迎しました。タリバン政権の過半数を占めるパシュトゥン族は、昔から助けを求めてきた人は命をかけても守る、という伝統がありました。この伝統により、アフガニスタンに逃げ込んだビンラディンは守られました。安全を手に入れたビンラディンは、自分の故郷サウジアラビアを追い出されたきっかけとなったアメリカをひどく憎んでいました。彼はアフガニスタンで、タリバン政権と協力して、アメリカにテロ攻撃を計画します。そして反米国際テロ組織、アルカイダを結成しました。ビンラディンはそのトップとなり、アフガニスタンの中で大勢の戦士たちを育成しました。そして2001年9月11日、アメリカ国内で4機の飛行機を乗っ取り、同時多発テロを起こします。ニューヨークの世界貿易センタービルのツインタワーにそれぞれ2機、ペンタゴン、議事堂それぞれ1機ずつ衝突させました。

戦争大好き ブッシュ大統領

 これまでの中東問題に対して、アメリカは非常に慎重でした。介入する際も、かつての「十字軍」のように、キリスト教 VS イスラム教という対立構図にならないように、意識を傾けていました。しかし、この時期のアメリカ大統領ブッシュは、こうした配慮を全くせず、9.11テロ後、「これからは十字軍の戦いが始まる」と発言をしてしまいました。これはビンラディンのアフガニスタンやパキスタンはもちろん、アメリカが支援してきたサウジアラビアも含む、全イスラム世界を敵に回す発言でした。アメリカ国内でも批判が相次いだため、のちにこの発言は撤回されました。こうした無能ブッシュ大統領のもと、対ビンラディンの戦争の準備が着々と進みました。やがてテロ組織アルカイダのリーダーがビンラディンであることを突き止め、タリバン政権に対して、ビンラディンを引き渡すように命じました。しかしタリバン政権の過半数のパシュトゥン人の「助けを求められた人は命をかけても守る」という伝統にのっとり、アメリカの要求を拒否しました。ブッシュ大統領は、「テロリストをかくまうのもテロリストと同罪である」とし、イギリスと連合軍を結成し、アフガニスタンの攻撃を開始。タリバンはあっという間に崩壊しました。この時タリバン政権のほとんどの人物が、アフガニスタンからパキスタンに逃げ込みました。標的はあくまでタリバン政権なので、アメリカはパキスタンを攻撃することができませんでした。しばらく大きな進展がない状態が続きました。アメリカは、政権がいなくなってしまったアフガニスタンで、治安維持のためのNATO軍に要請し、アフガニスタンに派遣させ、治安維持にあたりました。普通の大統領であれば、崩壊したアフガニスタンを平和にするために再建することに力を入れますが、ブッシュはアフガニスタンを以後放置しました。
(アメリカが独裁政権を倒せば、国民は歓喜し、アメリカに感謝して、自分たちで民主主義の国を作るだろう)と考えたのでした。

アメリカ軍がイラクへ侵攻、イラク戦争へ


 湾岸戦争のあと、国連がイラクのフセイン政権がどんな武器を開発していたかを調べました。その結果核兵器などの開発をしていたことがわかり、国連は「開発を中止するように」と注意しました。その後定期的に調査を行われるようになりましたが、次第にイラクはこの調査に協力しなくなります。これにより、アメリカは、再び核開発をしているのではないかと疑惑を持ちました。決定的な証拠が出ませんでしたが、ブッシュは個人的にフセインを攻撃して倒したいという気持ちがありました。こうしてイラクのフセインを攻撃することを始めました。
 ブッシュは、フセイン政権が大量破壊兵器を隠していると嘘の証拠をでっち上げ、イラクへの攻撃をスタートしました。アフガニスタンに駐留していたアメリカ兵部隊をイラクに向かわせ、イラク戦争の始まりました。アメリカの大軍によりフセイン政権は倒れました。その後イラク政府が樹立され、フセインは死刑となりました。

新生イラクは大混乱状態


 新生イラク政権が樹立され、イラクの統治のためにアメリカから大勢の人をイラクに送り込まれましたが、当時のアメリカでは、生まれて海外に行ったことがない人がほとんどでした。またアラビア語も全くできない人たちがイラクに送り込まれました。アメリカは、イラクでのバース党員を公職追放しました。フセイン政権時代に一党独裁だったバース党を、全員追放すれば民主化がかなうとアメリカは考えたためでした。しかしこれは大失敗に終わりました。フセイン政権時代には、バース党員でなければ公職につけませんでした。役所や医者、看護師、警察、先生、油田施設の技術者なども党員でし。彼らを追放した結果、役所の機能が停止し、学校から先生がいなくなり、病気になって病院に行っても医者はいない。軍隊も突然クビと言われて頭に来て、武器や弾薬を持って逃げていってしまい、大混乱が到来しました。
 イラクはシーア派が6割、スンニ派が2割、残りの2割がクルド人(スンニ派)で複雑な民族構成でした。フセイン政権はスンニ派で、当然少数のスンニ派を優遇していました。それが、フセイン政権が倒され、アメリカが統治し、選挙を行い、その結果当然ですが、大多数のシーア派の政権が誕生しました。今までいじめられていたシーア派がスンニ派を支配する構図となり、スンニ派に復讐をするようになっていきました。シーア派の警察は、警察だから何をしても捕まることはないとされ、シーア派によるスンニ派殺害が行われるようになりました。このままではシーア派によって殺されるとスンニ派は考え、シーア派に対抗するようになります。もともとスンニ派はフセイン政権時に渡された武器などを持っている党員が多かったので、その中で武装集団を結成し、シーア派と戦い始めました。イラク戦争が終わると、アメリカの無知のせいで、イラクでの内戦が始まり、イラクは泥沼化していきました。


イスラム国の誕生へ


 スンニ派の武装組織に、アフガニスタンのビンラディンのアルカイダが近づいてきました。シーア派の政権を樹立させたアメリカと対抗するためにも、イラク国内にアルカイダの組織を作ろうとし、過激武装組織を作りました。これがのちのイスラム国となります。その後勢力は拡大していき、今へとつながっていきます。

 複雑な中東問題の根源ともいえる出来事を中心に5回に渡り、まとめてきました。もちろんもっと細かい出来事や争いはありましたので、まとめてきたものはほんの一部です。お互いが大事にしていることの対立で争いが始まり、そこに大国が入り込み、さらに泥沼化していったのが中東です。アメリカがアフガニスタンから完全撤退するというニュースがありました。大国が手を引くと紛争が起こるのはこれまでの歴史から見て明らかです。タリバンにとってアメリカは邪魔ものです。アメリカの撤退により、タリバンはより活発に活動をすることになるかもしれません。歴史を学ぶとは、過ちを繰り返さないための指標となります。難しいかもしれませんが、継続して歴史を学ぶことの大切さを感じていただけたら嬉しく思います。
ありがとうございました。次回はもっとポップに、最近添乗で行ったところのレポートを写真つけてしようかなと考えています。

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