最近「便利」と「楽」で物を選んで、「好き」で選ぶことを忘れていた話
昔は時計が好きだった。
サウナを始めて、スマートウォッチにした。
そうすると、風呂のたびに着脱しなくていいし、防水で軽いし
運動量や睡眠の質、ストップウォッチ、天気に、音楽再生までしてくれる。
一気にスマートウォッチの虜になり、現在3代目となっている。
ちなみに1代目、2代目は、どこかで無くした。
と、いうのも、
軽くて外れたことに気がついていなかった。
Apple Watchほど高価でもない、1つ五千円前後。
だから無くすたびに買い換えた。
ふと寝室の片隅に
2017年から2019年の時計狂だった時の時計達が目に入った。
いくつかクォーツの時計は電池が切れていたし、
割と高価な時計は電池交換にも4000〜5000円かかるので放置していた。
何を思ったか、アマゾンで電池交換セットを千円程度で購入し
ボタン電池も300円以下で手に入れ、無心で電池交換した。
(かっこいい)
やはり、自分は時計が好きなんだな、と思った。
特にこだわりが強いわけでもなければ、
みんながびっくりするような知識をもち合わせているわけでもない。
理屈ではなく、頭ではなく、
魂で喜んでいる感覚を久しぶりに覚えた。
◆◆◆
最近、便利とか、楽だから とか
そんな理由ばかりでモノを買っていた気がする。
もちろん悪いことはない。
むしろ忙しい現代人を助ける文明の利器たち。
そんな中でも、この現代に残り続けてきたモノたちは
人の魂を揺さぶる何かを持っている。
だから今も残り続けているのだ、そう思った。
◆◆◆
「話題だから」「人気だから」「食べログの評価が高いから」
そんな理由で選んだものたちの事を、覚えていないかもしれない。
確かにその瞬間は
楽しかったり、美味しかったり、写真に撮りまくったりした。
けど、何も覚えていない。覚えていても、あぁ行ったかも。とか。
でも、背伸びをして高価な時計を買う あの瞬間は
今でも覚えている。あの時、ケース越しに選んだ気持ちも。
「よくわかんないけど、好きなんだよね」って言えるもの何個あるだろ。
「なんか、、、いいじゃん」で片付けても気にならないもの。
理由を話したって、なんだかよく伝わっていない相手の顔。
それでいいし、それがいい。
◆◆◆
夜更かし的な番組で
「お金のかからない趣味って趣味ですか?」って名言があった。
もちろんお金をかけずに夢中になれるものは素晴らしい。
けど、本当の趣味ってお金をかけても痛くないモノだったりするのかも
愛って、どんだけお金をかけても痛くないモノなのかもしれない。
推し活を刹那的だと思っていた自分
「推しがいないなんて可哀想ですね」と若者から言われた時
自分の好き、は なんなんだろう。時計なのか?
いや、
嫁かな、と本当に答えるかも
まぁ推しは嫁だろうな。うん、嫁だ。
◆◆◆
今日は会社に行く予定だったけど、リモートにしよう。
その方が嫁が「イェーイ」と喜ぶから。