僕と高石さん
日本フォークソング界の神様的な高石ともやさんが浮世のコースを走破し、天国へのスタートを切り、走っていってしまった。
あれは僕が小学生(1年生くらいだったかな)の頃、高石さんがワイルドランのスタート地に我が小学校を選んでくださり、スタートセレモニーを行った。
体育館でミニコンサートをし、終演後よりスタートして走り出すのを生徒が送り出すというものだった。
幼かった当時の僕は高石さんがどのような活躍をされている方なのかはわからなかったが、有名人というだけで気になっちゃって気になっちゃって。
友達数人で体育館にてコンサートの準備をする高石さんの近くへ寄って行った。
…ちゃっかり自由帳とマジックペンを持って。
ギターのチューニングなどをしている高石さんに「…サイン下さい」ともじもじしながら言ってみると、快くサインをくださった。
我が人生における、有名人からいただいく初サインの瞬間であった。
その後、ミニコンサートは楽しく終わり、高石さんは生徒とタッチしながら走り去っていった。僕の右手にも高石さんの汗が染み込んだ。
それから時は経ち、僕はロック少年になっていた。高石さんの想い出は心の奥底にしまわれていた。
自分の作り出す音楽で日本のロックシーンをぶん殴ってみたいと強く思いながら生きていた。
バンドを組んで一生懸命歌った。ロックンロールを貪るように聴いた。
ある時、どうにもならない理由でバンドがバラバラになり、僕は一人になった。
ロックが、バンドが、全てなのだと思っていた僕は暗闇を一人ぼっちで歩いていくことになった。
ラジオを聴きながら一人で日々を過ごしていた。暗闇の中だったが、僕は様々なジャンルの音楽を聴くようになり、いつしかボブ・ディランに傾倒していった。
彼は一人で全てだったし、何よりも強いように思えた。
そうか、一人でも音楽はできる。一人ならばどんな時でもどんなところでも好きなようにできるではないか。
簡単そうでとっても難しかった答えが出た。
僕はそれから日本のフォークソングにものめり込んでいった。
日本のフォークソングを知る時、高石ともやさんと再開するのだった。
心の奥で硬くなっていた想い出が柔らかく膨らみ、温かくなっていった。
僕は一人でももう大丈夫であった。
僕の右手には高石ともやの汗が染み込んでいるんだぞ。
僕はフォークシンガーとして歌い始めた。
僕の右手には高石ともやの汗が染み込んでいるんだぞ。
その思いの灯が燃え続けていることで、今日も僕は自分のフォークソングを、胸を張って歌えるのだった。
高石さん、ありがとう。