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北京の世界遺産をいくつ言えますか?

北京オリンピック❆、日本選手の活躍に感動しましたね。

感動の舞台となった中国の世界遺産を皆さんはいくつご存知ですか。
中国は、現在56件の世界遺産が登録されています。
この数は、イタリアの58件に次ぐ、世界第2位の登録数となっています。

そんな中国の北京周辺の歴史・世界遺産について、皆さんと学んでみたいと思います。

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①万里の長城

オリンピック競技会場でも、万里の長城の雪像が見られましたね。
東西約3000㎞にわたって連なる世界最大規模の城壁。当初の目的は、北方民族の侵入を防ぐことでしたが、各国が隣国に対する防御壁として個別に築き始めた。そして中国を統一した「秦の始皇帝」が、秦、趙、燕などの各国が築いた長城をつなぐ形で、整備、補修。現在の万里の長城の原型を作り上げ、北方民族(匈奴)に備えるための城壁としました。

万里の長城は、東端の渤海湾沿いに位置する山海関から、西端の関城で天下第一雄関とも称された嘉峪関に至る。高さ8m、幅平均約4.5mの城壁は、その上を兵士や馬が移動できるようになっており、縁には銃眼の開いた女墻(ひめがき)が設けられている。また、要所要所に、防衛の拠点である関城、見張り塔である敵台(望楼)、のろし台が築かれており、明代の建築技術の高さとともに、高度な軍事施設としての側面を今に伝えている。

名前の由来は、司馬遷が「史記」にその長さを「万余里」と記したことによる。当時の「万里」を現在の距離に換算すると約4,000㎞。長城の総延長は約8,900㎞で、明以前に作られた長城の遺構も含めると約5万㎞に達するという説もあります。

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②北京と瀋陽の故宮

北京の中心部にある故宮と、中国東北部遼寧省瀋陽(しんよう)にある故宮は、ともに中国の皇帝が居城とした宮殿の遺構である。

故宮とは、「昔の宮殿」という意味を持ち、かつては「紫禁城」と呼ばれていた。紫禁城とは、明・清王朝の宮殿を指す言葉で、皇帝が住むところとされる北極星とそれを取り巻く星群を「紫微垣」(しびえん)と呼んだことに由来する、紫禁は一般人が立ち入ることを禁じるという意味である。

北京の故宮は、1421年に都を南京から北京に移した際に居城とした。明・清2王朝時代の約500年間計24人の皇帝が居住とし、かつ政治の中枢となった。高さ約10mの城壁で囲まれた東西約750m、南北約960m、総面積約72万㎡の広大な敷地には、9,000人の女官、10万人の宦官が住んでいたという。

故宮の顔とも呼ばれる外朝部分には、南から順に太和殿、中和殿、保和殿の3つの建物が並んでいる。これらは、「前三殿」とも称される。なかでも別名「金鑾殿」(きんらんでん)と呼ばれる正殿の「太和殿」は、東西約64m、南北約37m、高さ約35m以上の現存する中国最大の木造建造物として有名。ここでは、皇帝の即位や祭礼などの重要な儀式の他に、後に保和殿で行われる科挙の最終試験、「殿試」なども実施されていた。

それぞれの宮殿は大理石の基礎の上に建造されており、屋根には皇帝のみが使うことを許された黄色の瑠璃瓦が葺かれており、赤く塗られた壁や柱と共に当時の豪奢な宮廷文化を今に伝えている。

瀋陽の故宮は、清の前身である後金のヌルハチと後継者ホンタイジによって、1625年に着工され、1936年に完成した。清が都を北京に移してからも、王族の離宮として使用されていた。


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③頤和園

北京市の中心部から北西約15㎞に位置する頤和園(いわえん)は、敷地総面積約290万㎢を誇り、中国に現存する最大かつ最後に建造された皇帝庭園である。小規模な離宮を、1750年に清の乾隆帝が整備して清漪園と名付けた。「天下の美しい景色をすべて集め、あらゆるものを皇帝が所有すべきである」という中国の古くからの思想を具現化し、中国の名だたる庭園や名景、有名建築の精華を取り入れたものとなった。

第二次アヘン戦争で北京に侵攻した英仏連合軍に庭園は破壊されてしまうが、その30年後の1886年に「西太后」が海軍の経費を流用し莫大な予算を投じて復元し、頤和園と改称した。

園内は行政、生活、遊覧の三区画に分かれる。敷地の大半を占めるのは遊覧区域で、景勝地として有名な杭州の西湖をまねた人造湖の昆明湖や、高さ約60mの人造山である万寿山がある。


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④天壇

北京にある天壇は、1420年に明の「永楽帝」が造営した祭祀施設。明・清の歴代皇帝が天と交信した聖地である。北京への遷都を進めていた永楽帝は、紫禁城の造営とともに天地壇(後の天壇)をつくった。敷地面積は約273万㎡と広大で、明・清の皇帝は毎年冬至にこの土地を訪れ、五穀豊穣を祈願した。

敷地内には、祈念殿、皇宆宇、圜丘壇が南北一直線に並ぶ。「祈念殿」は現存する中国最大の祭壇で、皇帝が五穀豊穣を祈った場所。

大理石の基壇上に、藍色の瓦をふいた3層の屋根をもつ円形のデザインは、東アジアの建築に大きな影響を与えたとされる。圜丘壇では皇帝がその年の出来事を天に報告した。


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⑤北京原人化石出土

北京の南西に位置する周口店遺跡(しゅうこうてんいせき)は、東アジア最大となる旧石器時代の遺跡。

1921年にこの地で道の化石人類の臼歯が発見され、「シナントロプス・ペキネンシス」(北京原人)と名付けられた。1929年には頭蓋骨が発見された。北京原人は約70万年前から約20万年前の原始人類で、直立歩行をして、道具と火を使用し、河岸や洞窟で集団生活をしていたと考えられている。

周口店遺跡からは40体あまりの人骨、約20万点の石器、骨製道具などが発見された。また、北京原人よりも現代人に近い、1万9000年ほど前の山頂洞人の遺跡も見つかっている。

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いかがでしたか。ああそういえば学校の授業で習ったという遺産もあったと思います。人類共有の資産である世界遺産。異国の地の歴史や文化に触れて、平和や現在の自身の生活を考える時間にしてみませんか。


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