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ぽろり

泣いていた。なんだか気分が落ち込んで、床に寝ころびながらくよくよ考えていたら、自然と涙が出てきた。数日前から、ちょっとだけ心に元気がないような気はしていた。自分の目から涙が出ていることを自覚した途端、防波堤がぶっ壊されたかのように、今までどこに溜められていたんだろうか驚く程大量の涙が溢れ出してくる。よくあることだ。こうなったらもう歯止めがかからない。

トイレに移動した。トイレは泣くのにちょうどいい。なぜなら、程よく狭い。狭いことがなぜちょうどいいことになるかは、よくわからないが、「私今、世の中に一人っきり」という疑似世界を作り出して、感傷の気持ちを最高潮まで高めるためのような気がする。「今、私、すごく悲しい!」っていう気持ちにどっぷり浸りにいきたくなる。悲しいときは悲しい音楽を聴くし。いつだったかお昼に流れているラジオで、詳細まで覚えていないがおそらく「悲しいときみなさんはどうしますか?」みたいな質問コーナーでリスナーから「元気が出る曲を聴きます、やっぱり音楽が一番!この曲は私に勇気をくれました」みたいなお返事がきてたんだけどそれを聞いて何言ってんだこいつ、と思った。私そういうやつと仲良くなれなそう。多分そういう人は、人から悩み相談をされたとき「大丈夫だよ誰にでもあると思うしもっとつらい人もいると思うけど何とかなるよ」みたいに、誰も救われない、何の励ましにもならないことを言いそうだな。ド偏見だけど。

疑似世界から現実世界に心が戻ってきつつあることを確認して、今目から出ている水滴を可能な限りトイレットペーパーで拭き取り、トイレから出た。まだ目の奥では追加の涙を生成する準備をしているようだけど。部屋に戻って布団に横たわった。隣の部屋でパソコンに向かっていた彼が静かにやって来て、私の隣に横になった。

「俺の話していい?」しばらく天井を見上げて黙って二人で横になっていたが、突然彼は言った。「俺の話なんだけどね、」「母さんも姉ちゃんも、昔からよく泣くんだよね。それを見てたら泣けなくなった。俺、泣けないんだよね。物心ついたころから、泣いたことがない。だからね、羨ましいなと思うよ。」

大学で心理学を学んでいた私はそれを聞いて解離?防衛反応の一種?幼少期の親の養育態度の問題?などと自分の中にある知識の範囲でその原因についてぐるぐる頭を巡らせた。
その原因を私の知識の中だけで考えるのは余計なお世話だしおこがましい事だ。
そう思い気を取り直して尋ねた。

「本当にすごく悲しいときは?」

「無。だね。感情が、ない」

「私は本当に小さいころから泣いてばっかだから、悲しいときに泣けないのは、とても悲しいことかもしれないね。」
なんて、その時思ったことを率直に口にしたけど、泣いてばっかりの私と正反対の彼はその言葉どう受け止めただろう。

身近な人に自分に気を向けてもらうために赤ちゃんは泣くらしい。人から注目されるためではなく、たった一人で、私が自分のためだけに涙を流すようになったのはいつからだろう。思い出せない。

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