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落合さんの酵化するモノリスを見て

先日六本木の森タワーで展示されていた落合陽一さんの作品、酵化モノリスを見てきた。落合さんと日本フィルハーモニーが開いた演奏会に関連する展示だそう。縦四メートル横一メートルくらいの長方形のディスプレイが置いてあり、銀色の背景に無数の蝶々が映し出されたり、銀色の波紋がうつしだされたりしていた。落合さんのデジダルネイチャーと呼ばれるものを表現しているのだろうか。メッセージ性は知らないが、すごい頭がリラックスした。一緒にいた友達は僕が感じたようなリラックスはなかったようだ。

落合さんのデジタルネイチャーかどのようなものかまだ調べていないが、以前彼のインタビューを見ていた際に(質量)というものに拘ってる意味印象があった。どう言う文脈でその言葉を使っているかは不明だが、自分なりに質量について考えてみると面白い。デジダル技術が発展して、それが限りなくリアルに近い世界を表現できたり、リアルの物とコラボして新たな現実を生み出したりしている。現実とリアルは限りなく近づいていて、たまに混ざりあったりする。でも、デジタルは現実にはなれない、それは質量を持てないから。このリアルには質量がある、この事になにか感銘を受ける。リアルでないデジタルが現実に近づいてきたことによって、両者の比較がされリアルに特有の質量に意識が向くようになったのだろう。デジダルは現実を飲み込もうとするようにみえるが、デジダルによって、現実にあるものに対しての感度が上がることもある。

落合さんはたまにメディアにでて難しいことを言っている人だなぁと言う印象だった。展示会のあと彼のノートを見てみて、お話ししてることも面白いがなにより昔は一息で15,000字くらいはかけたが、いまは3000くらいが限界とおはなししていた。化け物か。スポーツだと普通の人とアスリートの違いはまあまあわかりやすいけど、知的生産の分野だとわかりづらい。ちまたで天才と呼ばれてる人でも実感ももって天才だとは思えない。でも、彼の場合はそのノートをみてあぁ頭の作りが根本的に違うのだなと思ってしまった。普段からたまに千字くらいかける考え事があるくらいなので、15,000字一息でかけるその能力には脱帽する。単純に考えると僕の15倍頭が良い。彼らのようになんとなく頭が良い人には憧れるが、地方のサッカー上手い人が、バルセロナに憧れるようなものなのかなぁ。ふわふわした憧れが消え楽になると同時に、羨ましまさも増えた。

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