ショートショート「キャバ嬢の送迎」
キャバ嬢は基本、帰りは専用の送迎車で送られる。お店の終了と同時に女の子を引き取り、家が近い順に彼女達を運ぶ。
僕は地元の小さなキャバクラ「クラブハンコック」で、送迎ドライバ―のバイトをしている。20歳から初めてちょうど1年が経つ。
今日はバレンタインイベントをしていて、お客さんから貰ったのだろう、女の子達の何人かがバラの花束を持っていた。
「おねがいしま~す」
酔っぱらった数人の女の子が言う。
助手席に投げられた花束を尻目に、僕は小さく「はーい」と言ってアクセルを踏んだ。
ルームミラー越しに、女の子三人がスマホを眺めているのが見えた。
「うわ、ライン来た」
カナさんが言う。ノゾミさんが「またぁ?」と言った。
「ホワイトデー楽しみにしててね、だってさ」
「あの人大したものくれないよ。私、去年シャネルのコットン貰ったもん」
「え、コットン?それパッケージ詐欺じゃないですか」
「そう。で、その後ラインで「本当のプレゼントは家までもっていくよ」って言われた。いやいや、家はやめてって思ったよね」
ヒカルさんが「あ~、あったねそんな事」と言って笑った。
少し間があって、ラインの内容を見たのだろう、カナさんとノゾミさんが同時に「きもーい」と声を上げた。
客と酒を飲み、ほどほどに酔っぱらった彼女達の会話は女帝(ハンコック)そのものだ。女の子を必死に口説くおじさんは痛々しいが、彼女達の毒舌っぷりには少し同情してしまう。
「こういうのはストーカー化するから危ないよ。ねぇ、宗ちゃんも運転中は変な車がついてきてないか確認してね」
ヒカルさんがため息まじりに言う。
彼女は最も歴の長い子で、僕の事を「宗ちゃん」と呼ぶ。
僕は小さく「あ、はい」と言った。
「いい歳こいてしょうもない。あんたの娘と殆ど歳変わらないってのに」
「男は皆そんなもんだよ、しょうがないって」
「最近わたし、男嫌いが加速してるんですよね。結婚できないかも」
彼女達の愚痴を背景に、僕は小さく息を吐いた。
彼女達の言う「男」という大きな括りの中に、自分も入っているのだろうか。もしそうだとしたら、恐ろしい。最初こそ綺麗なお姉さん達に囲まれてどぎまぎしたものだが、今では怖いという印象が強い。
彼女すらできたことのない僕には彼女達の会話は刺激が強い。
彼女達が盛り上がっている間、自分はただ黙って、存在感を消す事に徹した。まるで戦争で捕虜にされた敵兵みたいだ。
香水とたばこの匂いが充満している車内。
僕は少し窓を開けた。頬を撫でる夜風が冷たい。
彼女達の鋭い言葉がどこかへ飛んでいくような気がした。
◇
「あ、宋ちゃん。これ」
カナさんとノゾミさんの送迎を終えた後、ヒカルさんのお家に着いた。車から降りようとした時、ヒカルさんから小さな紙袋を渡された。
「なんですか?」
中をのぞくと、ラッピングされたトリュフチョコが入っていた。
僕が驚いて顔をあげると、ヒカルさんが意地悪く微笑んだ。
「この前女の子達と作ったの。宋ちゃんにもあげようってなって」
紙袋から取り出してみてみると、透明なビニールにピンクのマーカーで「宋ちゃんへ」とハートマークと共に描かれている。
裏を見ると「かな、のぞみ、ひかる」と小さく書かれてあった。
「いつもありがとう、宋ちゃん。じゃ、お疲れさま」
そう言ってヒカルさんは車のドアを閉めた。
花束を気だるそうに持って、マンションの階段を登っていくのが見える。短いスカートからすらりと伸びる足が綺麗だ。
紙袋を抱えて呆然としていると、後ろからクラクションを鳴らされた。
僕は慌ててハンドルを握る。少し離れた場所へと車を移動すると、クラクションを鳴らしてきた男が「ぼーっとしてんじゃねぇよ!」と言って通り過ぎて行った。
「もう、うるさいな…」
僕は悪態をついて、ひざ元にあったチョコレートに視線を移した。
窓から差し込む街頭の光に照らされて、ビニールがきらきらと輝いている。
『いつもありがとう、宋ちゃん』
ヒカルさんの言葉が反芻する。
彼女達の言う「男」から外され、味方として扱われたような気持ちになった。大げさな、と自分でも思うけれど、顔が綻んでしまう。
僕はきらきらと輝くチョコレートをフロントに置いて、ハンドルを握る。
窓を全開にして、片方の腕を外へと伸ばす。
夜風は冷たいけれど、気持ちよかった。