「一年一組せんせいあのね」鹿島和夫(選)ヨシタケシンスケ(絵) (理論社)
行きつけの本屋をブラついていたら、画家のヨシタケシンスケ氏が昨年出された絵本「一年一組せんせいあのね」が平積みになっているのに気がつき、慌てて購入した。そんな本が出ていたなんて、まったく知らなかった。知っていたら、真っ先に買っていただろうに。
原著は神戸の元小学校教諭、鹿島和夫先生が書かれた有名な本で、先生が担任をしていた小学一年生との交換日記「あのね帳」の内容をまとめたものだ。「あのね帳」とは、子供たちが「せんせい、あのね」と、日常の出来事や思ったことを語りかけるように書き綴ったノートである。
原著では、鹿島先生が撮った子供たちの白黒写真がふんだんに掲載されていたが、先生ご自身が54のつぶやきを厳選し、今をときめくヨシタケ氏が挿絵を描き、絵本として復活したらしい。
もう何年も読んでいなかった本なので、懐かしい気持ちで「こどもたちのつぶやき」に触れたが、ヨシタケ氏のどこかすっとぼけた、でも、素敵な言葉を書いた子供たちへの愛情が溢れた絵がとにかく嬉しい。本屋からの帰りの電車であっという間に読み終わり、帰宅してからも何度か繰り返して読んでいるが、まったく飽きることがない。
そこに連ねられた「こどものつぶやき」は、何しろ6, 7歳の子たちが書くのだから言葉はたどたどしく、表現は素朴すぎるほどに素朴だ。しかし、曇りのない目で捉えられた大人社会や自然の姿や、大人たちが忘れてしまったか、目を背けている痛切な真実を語っていて、ハッとしてしまう。そして、思わずクスッと笑ってしまいそうなユーモラスな言い回しや、愛おしくてたまらないけなげさにも出会う。
そして、この子供たちのようなピュアな感性や、何ものにもこだわらない表現力を、私はいったいどこに置き忘れてしまったのかと愕然とする。そして、自分の子供たちの「パパ あのね」をちゃんと聞き、彼女らが恐らくたくさん口にしていたはずの宝石のような言葉をきちんと受けとめ、胸に刻めていただろうかと、暗然たる気持ちにもなってしまう。
でも、子どもたちの言葉に添えられたヨシタケ氏の優しい絵が、子供たちの心の中に起きたであろう発見の驚きや喜び、素朴な疑問や不思議を見事に描き出していて、私の中に芽生えたマイナスの気持ちさえもすっぽりと包み込んでくれて、泣き笑いに忙しい。
この本で先生と日記を交わした子供たちは、今や中年のおっちゃん、おばちゃんとなり、当時の自分たちが先生に報告したのと同じようなおかあさんとおとうさん、あるいはおばあちゃんとおじいちゃんになっていることだろう。あの阪神淡路大震災を経験した人も少なくないに違いない。でも、きっと鹿島先生のクラスで過ごした日々と「あのね帳」の思い出を胸に、充実した人生を歩んでおられることと思うと、胸が熱くなる。
数年前からとあるきっかけがあって、絵本を読む機会が増えたのだが、この新バージョンは間違いなく私の愛読書となるだろう。
それにしても、どうしてこんなにも創造的な本ができたのだろうか。先生が誰であっても、「あのね帳」の交換というプロセスさえ踏めば、子供たちは誰もがとびきりの「表現者」となれるのだろうか。
きっと、事はそんなに単純ではない。子供たちが「せんせい あのね」と心の真実をまっすぐ語りたくなるような(いまどきの流行語を使えば)安心で安全な場を鹿島先生がクラスの中に作り、彼ら彼女らから全幅の信頼をかち得ていたからこそ、できることのはずだ。
大人の社会に当てはめてみれば、よく分かる。例えば、業務改善の成功例がどこかで発表されたら、良く言えば「フットワーク軽く」、悪く言えば「脊髄反射」としてそれをとり入れようとする人がいる。でも、上辺だけ真似してみたところで、提案者の人望、職場の共感や同意がなければ、同じような効果を上げるとは限らない。むしろ、反感を買って失敗してしまうことだってあり得る。経験者の私が言うのだから間違いない。
この本はいま、入学式シーズンに合わせて「入学おめでとう」というキャンペーンでプロモーションがかけられている。マスメディアでも、結構とりあげられているらしい。だが、これから小学校に入る子供だけでなく、大人たちにとっても学ぶところの多い絵本として、広く受け入れられることと思う。鹿島先生と子供たちが日々築いていたであろう共同体とはどんなものであったか、どんな言葉が日常的に交わされていたのか、いろいろと想像を巡らせることで、何か新しい発見ができるかもしれないからだ。既に第7刷まで版を重ねているのも、私と同じように、たくさんの人たちがこの本の価値を認めていることの証拠だろう。
本屋で偶然この本を見つけられた幸運に感謝している。私の場合、リアル書店でないとこういう出会いは起こり得ない。これからもリアル書店には足繁く通うつもりだ。
ところで、この本の最後にある作者プロフィール欄を見て、原著の作者れある鹿島先生が昨年亡くなったことを初めて知って驚いた。そして、言いようのない哀しみを噛みしめている。
実は私は鹿島先生とは、面識があった。先生は実家のマンションに住んでおられて、何かのきっかけで母ともども親しくさせて頂いたのだ。高校生の頃からだったか、お宅に招ばれたこともある。鹿島先生はよくテレビ番組で見ていた「ダックス先生」そのままに、気さくで、大きくて、優しくて、でもこちらの人間性を目の奥底で見極めるような厳しさも持った方で、お話も面白くて楽しい時間を過ごしたのを覚えている。
そのとき「一年一組せんせいあのね」などの著作を何冊か頂き、今も大切にとってある。今回の絵本をきっかけに、それらを再読してみたいと思う。
遅ればせながら、鹿島先生のご冥福を心よりお祈りします。
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