I'm in a Billy Joel State of Mind - ビリー・ジョエル来日公演(2024.1.24)と新曲"Turn the Lights Back On"
先日放映されたBS朝日のTV番組「ベストヒットUSA」、ビリー・ジョエル特集を見ていたら、去る1月に東京ドームでおこなわれた16年ぶり、一夜限りのコンサートのダイジェスト映像が流れた。しかも、YouTubeで数多くUpされている客席撮りではなく、正真正銘プロショットの映像!たった数分の抜粋なのが残念だったが、贅沢は言うまい。
私も、あの日、東京ドームのアリーナ席にいた。ライヴを聴いた感想を書こうと何度もトライしてきたのだが、何しろ16年ぶりに接するビリーのライヴだ。想いが深い分、考えがまとまらなくて、私が経験した高揚や感激をまったく言葉にできずにいた。その代わり、既に新聞やWebで公開されている秀逸なレビュー、SNSで流れてくる数々の感想コメントを読んで満足していたというのが正直なところ。
でも、ライヴの模様を改めて鮮明な画像で振り返ることができた今、どんなに下らない文章しか書けなくても、自分だけの言葉で何かを書き残しておかねばという気になった。そう、新曲のタイトルをもじって言えば、あの映像が私の心の中に再び光を灯したのだ。
来日公演 (2024.1.24 東京ドーム)
先日のビリー・ジョエルのライヴを東京ドームで聴いていたときの私は、端的に言うなら、完全に「スイッチが入った」状態だった。
そのスイッチとは、かれこれ40年ほど前、「ニューヨーク52番街」を初めて聴き、ビリー・ジョエルの歌とピアノに完全にノックアウトされたとき、私の中に装備されたものだ。「オネスティ」などの名曲たちを聴いて、とにかくこのピアノを自分でも弾きたい、弾きながら歌いたいという欲求のスイッチが突如ONになってしまったのだ。以来、楽譜を買い、レコードを繰り返し聴いて耳コピで補足しながら、ビリー・ジョエルごっこ、いや、ピアノマンごっこをするのが日課となった。
それからというもの、ビリー・ジョエルの曲がちょっとでも聴こえてこようものなら、「ピアノ・マン・スイッチ」が即座に入るようになっている。
だから、ご本尊のライヴなんて聴こうものなら、それは大変。スイッチが入りまくって、指が、唇が、体が、なんちゃってピアノ・マンと化してしまうのだ。もっとも、他の人の迷惑になるので、それはあくまでも仮想的ななりすましにとどめてはいるのだけれど。
もちろん、今回のライヴでも私の「スイッチ」が作動したのは言うまでもない。何しろ、74歳を迎えたビリー・ジョエルはとても元気でコンディションも良く、「ピアノ・マン」から「リヴァー・オヴ・ドリームス」まで、彼のほぼすべてのアルバムから選ばれた珠玉の25曲を、約2時間20分もの間ノン・ストップで、ときにエネルギッシュに、ときにしっとりと歌い、奏でてくれたのだから。スイッチが入るままに、彼とバンドが奏でる極上の音に合わせ、心の中で歌い、弾き、酔った。
今回のライヴでは4回、猛烈なスイッチが入る瞬間があった。
1回目は「オネスティ」。ビリーの歌は随分渋く、抑えたものになってはいたけれど、それがまた詞の痛切さを引き出してもいるようで、刺さった。そう、少し前にピアニストのアリス・アデールのリサイタルを聴いた感想を書いたとき、私は音楽に「痛み」を求めずにいられない人間だと言ったけれど、そう、ビリーの音楽にもいつもどこかに「痛み」があって、だからこんなにも惹かれているのだということを、今の彼の歌から思い知った。
特に、「僕がどこを向けばいいのか教えてほしい、君は僕が信頼できる唯一の人だから」と叫ぶ3番のクライマックスでは、心の中でビリーと一緒に歌いながら感極まってしまった。聴き手側が実生活で同じような実感を伴う経験をしたことがある訳ではなくとも、歌と言葉だけで、まるで自分のことが歌われているように感じさせる力を孕んでいる。そのことこそが、「オネスティ」が名曲として広く愛されている所以なのだろうと実感した。
2回目は「ロックンロールが最高さ」。彼が歌っている最中、背後の巨大スクリーンには、この曲の発表当時(1980年)のMVの一部が映し出された。当時のバンドを従え、赤いジャケットを着てビール瓶片手に歌うものだが、そこにいるのはまだ30歳くらいの若いビリー。
ステージで歌う現在のビリーと、背後のスクリーンに映し出された過去の彼の姿を同時に見ながら、私自身の過去と現在を見せられた気がした。40年という時の流れ、出会った人、別れた人、そして今を生きる私の姿、いろいろな映像が脳裏に浮かんだ。あんなに陽気で愉しい曲なのに、聴きながらなぜか涙ぐんでいる自分がいて、これまでに経験したことのない不思議なスイッチの入り方だった。
「イタリアン・レストランにて」も同様だった。恋人だったブレンダとエディが結婚、離婚を経て、イタリアン・レストランで再会するというストーリーを、バラード、ディキシーランド・ジャズ、ロックンロールと曲調を変えながら綴っていく名曲。
懐の深さを増したビリーの歌声に合わせ、二人の主人公が経験した人生の悲喜こもごもが走馬灯のようにかけ巡る。少し前に発表されたアニメ映像のMVの記憶と、スクリーンに映し出された映像とが入り混じり、スイッチを押された私の心の動きは大きく増幅されていく。
ラストでは曲頭のバラードが回帰し、哀しい別れのあと長い時を経て再会し、互いに別々の道を歩みながらも新しい関係を構築していくであろうブレンダとエディの未来を予感させて曲が閉じられる。過去と現在、そして未来が環を描いてつながり、すべてが意味づけられ一つの物語になっていく。この曲を通して、そんな過程を体感した。耳と指にすっかり馴染んだ歌を呟きながら人生の不思議と深さを思い、この刹那、ビリーが創った物語を私も生きたような気がした。私にとって、歳を重ねるということは、そんなふうに音楽を聴けるようになるということなのかもしれないなあと思う。
そして、4回目のスイッチ発動は、「ピアノ・マン」。最後のリフレインでは、いつものようにビリーもバンドも演奏をやめ、聴衆が大合唱した。周囲の誰もがみんなピアノ・マンになりきり、あの曲の歌詞に出てくるバーの客になりきっているのだから、何の遠慮も要らない。こうして日本に再び来て歌ってくれたこと、こんなにも素晴らしい音楽を作ってくれたことへの感謝を胸に、誰もがそれぞれの「ピアノ・マン・スイッチ」を作動させながら、舞台上のビリーに向けてあの歌詞を声の限り歌った。
それはファシズムとは無縁の「個」から発せられた声の集合体であり、連帯の歌だった。音楽を通して人と繋がるということは、まさにこれなんだと胸を熱くした。もちろん、ビリーの歌、ピアノも好調そのもので、彼のストーリーテラー、メロディメーカーとしての才能と、彼の音楽の魅力をたっぷりと味わわせてもらった。
他の曲のどれもが良かった。来日時は毎回とり上げてきた「素顔のままで」がなかったのは意外だったけれど、名曲「ウィーン」、初期の名作「さよならハリウッド」が、(私は)今回初めて聴けたのは望外の喜び。欲を言えば、直前のMSGでのライヴでは歌っていた「そして今は(And So It Goes)」、これは彼の曲の中でも特に好きなものなので是非とも聴きたかったけれど、贅沢な要望ではあろう。40年ぶり(1984年のイノセント・マン・ツアーの大阪公演)に「アップタウン・ガール」「ロンゲスト・タイム」をライヴで聴けたのも、涙ものだった。
正直を言うと、今回のライヴで、彼の年齢を思わずにいられなかった部分もある。声にもピアノ・プレイにもいろいろ制約が出てきていて、バンド・メンバーのサポートを受けながら、曲を作り上げていく場面も多かった。ステージ上での動きも、かなり少なくなった。
でも、そんな諸々の変化を経てもなお、聴こえてくる音楽は魅力的で、私のスイッチを強力にプッシュした。それどころか、彼の歌やアクションに制約が出てくればくるほど、彼が書いた曲がどれほど聴く人の心を奪わずにいられない名曲であるかを実感した。
良い曲は、その時々の歌い手の変化を許容し、そのときにだけ可能な輝きを放つことができる。逆に、どんなに歌だけがうまくても曲がダメなら、長く聴かれることもない。今回のライヴを聴きながら、そんな「真理」が音として現実のものとして立ち現れるのを目の当たりにしたように思う。
やっぱり、ビリー・ジョエルはいつまでもビリー・ジョエルであり、ピアノ・マンであり、街の吟遊詩人であり、エンターテイナーであり、Keeping Faithな(信念を守る)人だった、ということに尽きる。
ビリー・ジョエルと、何万人ものビリー・ファン同志と、とてつもない興奮と、切なさや「痛み」をときに共有しながら、「ピアノ・マン・スイッチ」がONになるのを楽しんだ、あの一夜の2時間半を私はいつまでも忘れたくない。
17年ぶりの新曲 ”Turn the Lights Back On"
素晴らしかったライヴの余韻を味わっているうち、2月1日に、17年ぶりとなる新曲「Turn the Lights Back On」が全世界同時に発表された。
それ以来、私は毎日のようにこの曲を聴き、毎回のように心を動かされている。特に、生成AIで70~90年代のビリーを登場させ、現在の彼の歌声に合わせて歌わせるMVが出てからは、いつも泣きながら見ている。
哀しい訳じゃない。懐かしさに浸っているのでもない。何で泣いているのかも分からないし、泣いたからと言って哀しくなるのでもない。ただただ、このMVを見ながら聴いていると、涙が出て仕方がないのだ。いい音楽、いい歌を聴いているという幸福感が、私の前頭葉の機能を低下させ、涙腺を緩ませてしまっているのだとしか言いようがないのだけれど、きっとそれ以外の要因はあるのだろう。
この曲の音遣いの中には紛れもないビリー・ジョエルらしさが随所に見られ、ピアノのアルペジオは「シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン」を思わせたりもする。だが、遥か無辺の天空を望むような広々とした開放感、これまでの彼の歌にはない新境地を聴く。
そして、フレーズの終わりでマイナーに一度沈みこみ、何度か仕切り直ししてから、のびやかなリフレインへと至るあたりの構成は、熟達のものだと思う。
そして、売れっ子プロデューサーのフレディ・ヴェクセラーと共に作り上げたサウンドも、これまでにない新しい魅力に満ちあふれたもの。そしてビリーの声も、今一番歌いやすい音域を選んでいるからだろう、どこまでものびやかで力強く、美しい。
詞の内容も深い。僕は暗闇の中で今まで長く待ち過ぎたのかもしれない。でも、今、僕には君が見える。もう一度明かりを灯してもいいかな?やり直せないだろうか?と問いかける。
この問いは誰に投げられているのだろうか?
ごく普通に受け止めれば、関係が冷めきってしまった恋人、妻(または夫)と考えるのが自然だろう。
だが、ビリー自身は「音楽」あるいは、「音楽の女神=ミューズ」に問いかけているように思える。
彼は、自分のソングライティング能力に満足できず、わずかな例外を除いては30年以上もアルバム制作や新曲発表から遠ざかっていた。最近のインタビューでは、曲を作ることに嫌悪さえ抱くようになっていたとも言っている。
だが、数年前にヴェクセラーと意気投合して音楽について語り合ううち、音楽への情熱を取り戻し、新しい曲を書き上げたらしい。
そんな背景から生まれた曲の中で、彼は暗闇の中に横たわって疑心暗鬼になっていた自分を受け容れ、もう一度光を灯してもいいか、つまり、また音楽を作っても良いかと、音楽創造の源たる女神に問いかけているのだろうか。
MVでは若き日の彼の姿と、現在の彼の姿を交互に歌に重ねながら、暗闇に身を潜めてしまった自分の過ちを受け止め、赦し、曲を作るのが楽しくて仕方なかった頃の情熱を取り戻そうとしている、そんなさまが映し出されているように思える。カメラを真正面に見すえ、微笑みを浮かべて歌う現在のビリーの表情は、柔らかく、穏やかで、でも、力強さを秘めてもいる。
そんな映像とともにこの曲を聴いていると、ビリーの新しい決意を感じるとともに、なんだか自分が鼓舞されているようにも思えてくる。私もいま暗闇に明かりを灯し、人生をやり直してもいいんだよと、背中を押されているように感じるのだ。ものすごく自分勝手な解釈だとは分かっているのだけれど、私がこのMVを見るたびに流す涙の理由は、きっとそこにあるのだろう。
彼が音楽の中で灯してくれた明かりは、暗闇の時代を生きる私たちの心を照らしてくれるに違いない。私はそう確信している。
だから、彼にはこれからも新しい曲を書いて私たちに届けてほしい。そう心から願っている。そして、時間の許す限り、私も彼の音楽とともに生きていきたいと思う。
などというようなことを考えながら、日々を過ごしている。名曲「ニューヨークの想い」の歌詞をもじれって言えば、I'm in a Billy Joel State of Mind (ビリー・ジョエルの気分)にずっと浸っている状態と言えるだろうか。
まだまだこの気分は当分続きそうだ。