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女神の背中 (薬師丸ひろ子 2022ツアー)
9月から始まった薬師丸ひろ子の2023年ツアー「愛しい人」、東京公演が今週末に迫ってきた。幸運にも2日ともチケットを入手できたので、「ライヴはこれが最初じゃないのに 夢が震える」などと、年甲斐もなく期待に胸を膨らませているのだが、よく考えたら、昨年のツアーでの感想を全然書いていなかった。どうしても忘れたくない光景があったので、今年のライヴで舞い上がってしまう前に書き留めておきたい。
それは東京公演初日(2022/10/19)のことだったと思う。セットリストを歌い終え、アンコールで再び舞台に戻ってきた彼女は「ささやきのステップ」に次いで、ツアータイトルにもなっていた「アナタノコトバ」を歌い始めた。
作詞は彼女自身で、作曲はシンガーソングライターの池田綾子。クライマックスでは「争いのない世界なんてない それでも それでも それでも 今日を良く生きよう」と歌いあげる、ドラマティックな音楽だ。実際に作られたのは2017年だが、ロシアのウクライナ侵攻が世界を震撼させた2022年に、その歌は何と重い意味を帯びて胸に迫ってきたことだろうか。
彼女の「絶唱」を聴きながら、ふと舞台下手に置かれたグランドピアノに目をやると、その湾曲した側面に薬師丸ひろ子の背中が映っていることに気がついた。周知の通り、彼女はほぼ直立不動で歌うのだが、大きなブレスをとるときや、思いのこもった言葉を歌うとき、白い衣装をまとい、姿勢よくピンと伸ばされた背筋が、客席に向けて前かがみに動くのが見える。
その彼女の背中の動きに、私は心をわし掴みにされた。
そこには、「どうしてもあなたに伝えたいことがある」と言わんばかりに、彼女自身の言葉と歌声を私たち聴衆に届けようとする強い思いと、少し場違いなたとえかもしれないが、ベートーヴェンが自作の宗教音楽の楽譜の余白に書いた「心より出でて 心へと伝わらんことを」という言葉と相通ずる、真摯な願いがあるように感じられたのだ。
そのような願いに突き動かされて話す人の所作は、美しい。そこにきて、彼女はあの美声の持ち主であり、歌の技術も、コンサートを重ねるごとに進化を遂げているのだから、その美しさは、いやが上にも輝きを増している。
自分は果たして、人にそんなふうに懸命に、真摯に自分の思いを伝えているだろうかと自問せざるを得なかった。
彼女が曲を完璧に歌い終わり、時に両手を大きく振って拍手に答礼するのを見ながら、ピアノに映った彼女の背中の動きから、大げさかもしれないが、人生のお手本を見せられたような気がした。人は、人の背中を見て学ぶのだ。
以降、翌日の公演と、1ヶ月後の追加公演でも、「アナタノコトバ」を歌う彼女の背中を見ながら、その力強くも美しい歌を心ゆくまで満喫することができた。
さて、今年はどんな歌を聴くことができ、どんな風景に遭遇することができるのだろうか。2回のライヴを、心ゆくまで楽しみたいと思っている。
折しも、ガザ地区で激しい戦闘がおこなわれていて、また「アナタノコトバ」の歌詞が生々しいリアリティをもってしまっているのが残念だが、ツアータイトルの通り、誰もが「愛しい人」(名曲!)を想い、大切に生きられる平和な世界を願っている。
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https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000006990.000001355.html
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