川村結花トリオ "Weekend session" vol.1 (2023.10.8 渋谷7thFLOOR)
「酸いも甘いも嚙み分ける」という言葉が大嫌いだ。
辞書によれば、「酸い」は「粋」にかけた表現で、「世間の表裏や人情の機微に通じて、物分かりの良い様子」を指す。そこから「分別がある」などという意味でも、このフレーズが使われる。
もう50歳を過ぎれば、そろそろそんな言葉の似合う大人になるべきなんだろうけれど、どうにも自分には無理だ。しょっぱい現実に涙し、甘い汁を求める余りに自分で転げ落ち、痛みに声を上げている。ちっとも物分かり良くなんてなってない。だから、嫌いなのだ。
そんな自分に躓きそうになると、川村結花の歌を聴く。
彼女の歌には、「酸い」も「甘い」も同時に両方存在している。歌詞のことだけを指しているのではない。メロディにもコード進行にも、リズムにも、いつも甘みと苦みが混ざっている。楽しげなメロディにネガティブな言葉が重ねられたり、逆のパターンもあったり、そのバランス感覚と、言葉とメロディとの距離感の独特さが「カワムラワールド」だと思うのだが、そこから浮かび上がってくるのは、「酸いも甘いも味わい尽くす」とでも表現したくなるような「ありよう」だ。
ああ、しんどいねん、痛いねん、キツいねん、逃げ出したいねん、あない言うたけどほんまはちゃうねん、くやしいねん、かなしいねん、くるしいねん。全部言葉にして、音楽にして、表現してしまわなもう耐えられへんねん。カッコ悪いけどそないせな生きてられへんねん。この気持ち、目は背けられへんねん。それが何かじっと見つめんと気が済まへんねん。そやからワタシ、歌うで!分別くさくなんてなってたまるか!
そんな心の声がいつも聞こえてくる。
いや、そんなのは私の勝手な空耳なんだけれど、その彼女の音楽から溢れ出てくる無数の「~ねん」を聴いているうちに、俺もそうやねん、あんたはワタシか、なんでそんなとこまで知ってんねん、と言いながら、言葉と音楽に合わせて泣き、思わず体育座りで膝を抱えて沈み、そして、笑い、を心の中でやっている。
彼女の歌にハマったのはアルバム”Lush Life"の頃だから、もう四半世紀にもなる訳だが、私はそんなふうにして川村結花の歌と共に生きてきた。なんか進歩ないなあと思いつつも、人間の本質なんて結局はずっと変わらないもんなのかなという気もしている。
と、川村結花のライヴを聴きながらそんなことを考えていた。
私が聴いたのは、彼女が結成した「川村結花トリオ」の披露ライヴで、川村のピアノ弾き語りに、ベースのtatsu、ドラムの坂田学がジョイント。
セットリストは、川村の目下の最新盤「ハレルヤ」とその前の「private exhibition」のナンバーに、Epicソニー専属時代の2曲(「Sail Away」「星になるまで」)に加え、これから制作に入るニューアルバムに収録予定の新曲など。
1時間半余りのステージに接して、やっぱり彼女の「~ねん」に思い切り泣き、笑い、楽しんだ。
もう既に完成された曲ばかりだけれど、まさに凄腕のミュージシャン2人とのジャムセッションで、彼女の肚の底にある言葉を、今この瞬間に音楽にして歌っている、そんなまさに「ライヴ」な感覚が心地よかった。
かつての彼女の歌には、「酸いも甘いも」自ら身を投じて経験し尽くしてやるのだというような苛烈な意志の力を感じることもあったし、ときに自傷行為的な痛みを孕むこともあって、それがたまらない魅力だった。それに比べると、久しぶりにライヴで聴く彼女の歌は、もっと柔らかなスタンスを持ったものになっていて、その言葉と音楽は、時に柔らかく、ゆったりと私の胸を突きさす。敗けを認めてもいい、逃げ出してもいい、辛さに悲鳴を上げてもいい、それでも懸命に生きている自分を受け容れて、「あとどれくらい」と数えられてしまうような、限りある人生を味わい尽くしましょうよと、語りかけてくる。
彼女の歌を聴き続けてきて良かったと思った。大人気なくても、物分かりが良くなくてもいい。ネガティブなものはネガティブなままに受け容れ、心の声は吐き出していいんだ、と半ば安堵に似たものを覚えた。
彼女の新曲に「いま私が生きている、それが答えだ」というような言葉があった。ああ、サルトルですか、「実存は本質に先立つ」でんな。知らんけど。
でも、彼女が歌に乗せて投げかけてきた言葉は、直球ストレートで胸に刺さった。自己肯定感が低く(そんなんでキャリコンやっててええんやろか)、自分のこともさっぱり好きになれないけれど、川村結花の歌を聴いていると、それでもええねん、生きていこうと思うねん、と自分に言い聞かせた。
「カワムラ鉄工所」の歌詞で、川村の祖母が言ったという「この世の中には もうあかんなんてことは ひとつもないんやで」という言葉を噛みしめながら。
ああ、何を大人気ない文章を書いているのかと情けなくもなるが、これもまた自分の正直なところ。
歌もパフォーマンスも掛け値なしに素晴らしかった。一瞬のミスもあっという間に味わいのあるアドリブにしてしまうあたりの、3人の絶妙の掛け合いなんて素敵だった。特に坂田学のドラムの凄いこと!川村が「猫の耳たぶ」を終えて「リハと全然違うプレイばっかり。どんだけ引き出しが多い人やと感心した」と言うくらいに、スリリングなスティックさばきにすっかり魅了された。
ライヴハウスのそんなに多くはない客席は、ほぼ満席。聴衆のほとんどは私と同世代から上の人たち(因みに私は川村と同い年。ただし、彼女は早生まれ)で、要するにおっちゃんとおばちゃんばかりなのだが、女性の方が多いくらいで驚いた。終始、とても和やかな雰囲気でライヴは進んだが、最後の「ろうそくの灯が消えるまで」の手拍子は、手前味噌ながらとても素敵だった。いい感じの裏打ちが、ちゃんとグルーヴしていた。
そんな第一級のライヴを楽しんだが、これで今年の彼女のソロライヴは終わりなんだそうだ。これからアルバム制作に向けて曲を書くのに専念するということも理由のようだが、これだけ質の高い、そして、心に響く歌が、こんなに近くにあるのになんでだろう、と不思議な気もする。
が、そんなことはともかく、このトリオも、そして彼女のソロ弾き語りも、ずっと聴き続けたい。彼女と一緒に歳をとり、その時々にフィットする曲を聴きたいし、かつて愛聴していた曲たちが育っていくのも体験したい。願わくば、世の中の大騒動が落ち着いたら、彼女が作曲した名曲「夜空ノムコウ」をまた聴かせてほしい。
■今回のセットリストにあったものの一部
■私の好きな歌(今回のライヴでは取り上げられなかったもの)