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自己紹介 〜生誕から小学生編〜

どうも、ビアイの西嶋です。
1番好きな食べ物は春巻きです。
いつもはnoteに毎日日記を書いていますが、自分のことについて詳しく書いたことがありません。
なのでおおまかに誕生〜小学生、中学生、高校生、大学〜NSC入学の4つのフェーズに分けて書いていきます。



まずはその前に詳しい自己紹介でも書いていきます。


名前:西嶋 乃暉(にしじま ないき)
性別:男
生年月日:2002年 8月13日
年齢:21
出身地:石川県金沢市
趣味:野球、麻雀、アイドル(坂道)、ラジオ
      散歩
ざっとこんなもんですか。
さっそく生まれてから小学生時代までの話にいきましょう。

平成14年8月13日に僕は爆誕しました。
出身地は石川県金沢市ですが、生まれは違った記憶があります。
おそらく石川県白山河内というところ。
なぜ曖昧かというと、両親は僕の小さい頃に離婚しました。
離婚後は母親についていき今は再婚しています。
そういうこともあり、なかなか昔の話は聞くことができません。
ちょこちょこ聞くのは、元父親が結構な遊び人だったようです。
まぁおそらくこれが原因ですね。
ちなみに僕の乃暉という名前も元父親がつけました。
次男なので手を抜いたのんでしょう。
そもそも2人目は女の子が欲しかったみたいな話で揉めたこともあるみたいです。
小さい頃はなんとも思わなかったですが、こういう職業に就こうとなるとインパクトのある名前なのですごいありがたいです。

おそらく4歳の頃に離婚し、そこから石川県金沢市に引っ越してきました。
この頃の記憶はほぼありません。
みんなもそうなんかな。
覚えてるのはファーストキスはこの頃でした。
幼稚園のお昼寝時間の時に隣にいた女の子としました。
この子とはすごく仲が良く何度もした記憶があります。
いやー青春やねぇ。
その子と今でも仲良くしている訳ではありません。
なぜかと言うと、その幼稚園がそのまま進学する小学校に僕は進学しませんでした。
家の近さとかそんな関係だったと思います。
なので小学校に入った時は周りの人はみんな知らない状態です。
転校と同じ状況です。
結構泣いた記憶もあるなー。
なので所謂、幼馴染という存在がいません。
この時点で白山河内から金沢に引越しする時に1度幼稚園が変わり、最後卒園した幼稚園のメンバーも小学校にはいませんでした。
幼稚園から一緒の友達がいる人はすごくコンプレックスがありますわ。


小学校時代は最初知り合いなんていませんでしたが、そこはまだ子供なので特に何かを考えることも無く無邪気に遊んでましたね。
滑り台をしすぎてズボンとパンツに穴が空いたまま授業を受けるくらい無邪気でした。
でもスクールカーストの上ではなかったイメージ。
まぁ1年生とかなのでスクールカーストとか特に意識はしないとは思いますが、なんとなくそんなニュアンスはあった気がします。
スポーツチームにも所属していなかったのでそこでの人脈もなかった。
結局、小学校なんて野球やってるやつかサッカーやってるやつが一番偉いんだから。


小学2年生の頃に僕というか僕の家族の転機がきます。
再婚します。
それを機に引っ越すことになりました。
これで3度目の仲間との別れです。
2年生の頃なのでちょうど学校に馴染めた頃に転校となりました。
僕と兄ちゃんは母親について行くしか無かったのですが、母親と母親の妹はすごく揉めてました。
「せっかく学校に馴染めてきた頃に引っ越すなんて何事だ」
みたいな感じ。
この話をしながらみんなで泣いてました。
いい人ですね。
この後、大学生時代にこのおばさんにすごくお世話になります。
それはまた先のお話。


実際転校する自分の心情はどうだったかといえば、そこまで悲しんでなかったような。
さっきも言ったように完全に馴染む前でした。
ただまた新しい友人との関係を作っていかなきゃいけないのかというだるさがあったと思います。
転校が確定してから学校で発表されるまで2ヶ月くらい期間がありました。
その間、誰にも言ってません。
幼いながらも守秘義務はあったみたいです。
あと、転校が発表された時にみんなどんな顔をするのかを楽しみにしてました。
当時僕の席はここでした。

教卓から見て1番端の席です。
学校に行き朝の会の時に転校が発表されました。
その瞬間全員が端の席の僕のことを見た時に、めちゃくちゃ興奮したのを覚えてます。
なんか気持ちかったなぁ。


ちゃんとお別れ会みたいなのもしてくれました。
みんなに手紙を貰いました。
家に帰りその手紙を読んでる時はさすがに泣きそうになりましたね。
その手紙はまだ実家にあるはずです。
めっちゃ人情深いでしょ?僕。



正直、小2までの記憶はあんまりありません。
転校した後の方が人生の充実度は高いのであまり覚えてません。
唯一はっきりと覚えているのは、学校が終わり帰ろうとしている時、当時の好きな子に
「ランドセル開けていい?」と言われました。
それだけでもドキドキなのに、その日はバレンタインでした。
これはやばいです。ほぼ確でチョコやん。
帰り道にランドセルを開けて見ようかと思いましたが、誰かに見られてからかわれるのが嫌なので家に帰るまで我慢してました。
家に着きすぐランドセルを開くと、中には勉強道具だけ。
どんだけ探してもチョコとか手紙とか何もありませんでした。
マジでなんやったんやろこれ。
これが僕の転校前の全てです。


3年生から新しい学校での生活になりました。
正直ここからが充実した学校生活の始まりでした。
僕の学年自体がめちゃくちゃ仲の良い学年というのもあるが、ここで野球を始めたのがデカかった。
そのおかげで舐められるということがなくなりました。
やっぱり小学生くらいだと野球をやっているだけでクラスの中心になるんですね。
簡単な話です。
いじめられることも無く、舐められはしないけどクラスのいじられキャラみたいな立ち位置を全うしていました。
ここら辺で変なことをしたらみんなが笑ってくれて、それが楽しいという気持ちが芽生えたと思います。
でもまだ芸人になるなんて微塵も思ってません。
ただただ楽しく生活していました。


野球は金沢市内ではそこそこ強いチームでした。
練習試合では勝率は8割でした。
金沢市でも1度1位になりました。
僕もなんとかレギュラーで頑張っていました。
まぁめちゃくちゃ中心の選手ではありませんでした。
1人のちの甲子園球児がいたのでそいつにおんぶに抱っこなチームでした。
監督もなかなか厳つい人でした。
当時のことなんで言いますけど余裕で暴力とかありました。
殴ると蹴るもビンタも。
かなり厳しめにご指導されました。
その監督も甲子園に出場した事のある人なのでカリスマ性はものすごくありました。
だからみんなついて行ってました。
今ではすごく感謝です。
まぁここだけの話、その監督は僕の1個下の選手の保護者と不倫してたとかしてないとか。



生誕から小学校まではこんな感じです。
他に親が再婚してからの新しい家族との関係性の話とかもありますが、これはこれで色々あるのでまた書くことにします。
最後に僕のカメラロールにあった唯一の小学校時代の写真でも載せておきます。

芋っぽいねー。めっちゃ痩せてるし。
それでは中学時代編で。

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