「美しいnote」への憧れ
額縁に飾りたくなるような文に会うと嫉妬する。
そんな気持ちになれたのも、noteで発信を始めたからなのだけれど、たまに目にする記事で「アーティスティックな文」に出会うことがある。
普段の文章の読み方は、左から右に瞳を動かし、上から下へ視線を落として、「読んでいる」。
でも「アーティスティックな文」の場合、絵をみている時と同じような感じで、スマホの画面がキャンパスに変わり、文字が人や花のような役割をして、本来は「無」である空白や白い部分でさえ、作品をひきたてる一部に見えるのである。
その域に達していると、内容自体はなんでことのない三日に一回くらいは、誰でも経験しそうな考えそうな事なのに、1文字でも修正したら、文字が崩れちゃうんじゃないかってくらい繊細で高貴な作品になっている。
それを連発されているのが、古賀史健さん、竹村俊助さん、末吉宏臣さん。きっとまだまだ知らないだけで、もっといるはず。
いまだに、どうしたら書けるのかが分からない。
でも一つ気がついたのは、パソコンは意外と気にならないけれど、スマホで見たときに「文字バランスが悪い」と、アーティスティックな作品としてはもうノミネートする事は許されないようだ。
というわけで、今この記事はiPhoneのSafariで書いてみていて、なるべく「バランス」を意識しながら書いてみている。
バランスについては、予測だけれど、10あるステップのうち1に過ぎないあるいは満たないのかもしれない。とにかく不器用な僕は書き続けながら、偶然でも良いから、一度「美しいnote」を生み出してみたいと思う。