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「し」死ぬ年齢を決めている理由

ぼくは45歳で死ぬのだろう。と、思っている。

これはけっして悲観的な感覚で言っているのではなく、死の年齢を決めておいた方が、必死で生きようと思えるからだ。 

 あ、どうも、ナイケルです。

「し」って書いてるのは「あいうえお順」にテーマを決めて語ってるからです。今日は「死」にしました。


なぜ、ぼくは45歳で死ぬのか。

それは、ぼくの親父がガンで亡くなったのが、45歳だったからだ。

そして親父が亡くなる直前に、「昔、パイロットになりたかった夢に挑戦しなかったこと」に後悔をし、いままでぼくの前で一度見せたことのない涙を、わんわんとおもいっきり泣き語っていたことが、20年近く経ったいまでも簡単に脳内再生できる。

そして親父が死んでから、ぼくは死ぬ年齢を決めた。

すると、不思議と夢、やりたいこと、会いたい人の優先順位がググッとダントツで上位に上がってきた。それまでは、プレイステーションでゲームや、エロいことを延々と考えたりすることが独走一位だった。  


いま、ぼくは32歳だ。

平均的な日本人なら、現時点でまだ50年ほど生きるし、最近では人生100年計画とまで言われている。


ぼくに残された人生はあと13年。

「アフリカと日本をつなぐ」「Africa by Africans」という、終わりなき旅をはじめてから5年が経ち、まだまだやりたいことの5%も終わっていないから、このペースでやっていたら13年後に死ぬときには「もっと本気でやっておけばよかった」と、わんわん悔し涙を流すのが目に見えている。  


だから、ぼくは生き急ぐ。

45歳で死なない可能性もぜんぜん高いが、それはそれで、必死で45歳やりきったら、ほんとうにそのときに死ぬときに「親父、おれめちゃくちゃ生きたぞ!」と、胸を張っていえると思ってる。

逆に100歳まで生きれちゃうとしても、45歳で死ぬと思った生きまくったときの経験値は、残り55年でもっともっとおもしろい挑戦や出会いを生みだすに違いない。

今日も、必死で生きていく。

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