「え」江戸時代のファンドレイジング文化
どうも、アフリカ系男子のナイケルです。
なんで「え」って書いてあるのか、につきましては、「あいうえお」順にテーマを絞って書いてあるからでございます。何も絞らずに書こうと思うと、無数にテーマが出てきちゃうので、このように頭文字を絞ってパッと思いついたテーマで書いております。今日は「え」。
江戸時代。
この時代の話になると、戦国時代を経て、徳川家が日本を統一し、比較的平和な時代になり、鎖国がずっと続いていたので、日本独自の文化的な産業や娯楽などがたくさん生まれた、という内容が多いと思います。あとは、江戸時代後期の黒船襲来から、明治時代に至るまでの幕末の話が人気ですね。
ぼくもその頃の話が好きですが、現代日本のトレンドと、江戸時代の類似点を探してみると、以外にもファンドレイジングという言葉があがってきます。もちろん、当時はまだファンドレイジングという言葉はありませんでしたが。
さて、江戸時代も寄付文化は存在していました。
どういったことにお金が集まっていたのでしょうか?
水の都と呼ばれていた大阪は、陸地の移動に必要な「橋」が必要でした。当時の大阪には、約200の橋があったそうようですが、幕府がつくった橋はたったの12橋。そして、残りはなんと大阪の町人が、お金を周囲から集めて作り上げたそうです。その橋は総称で「八百八橋(はっぴゃくやばし」と呼ばれています。
調べてみると、主にすでに財を成した商人が、金銭的な見返りは求めずに寄付をしていたようです。なぜ、そんなことをしたのか?それは当時、彼らの間で流行していた言葉からくる文化があったようです。
「きたのう貯めて、きれいに使う」
これは、商売は経費をガンガン削って、売上との差異で儲けてお金を貯める。ある種、徹底した汚い思考を持っていないと貯まらないが、使うときは、世のため人のためにガーッと使いましょう。という考え方です。
これにより、橋だけにとどまらず、学校建設、そして歌舞伎役者へのパトロン的な形での支援なども存在していたようです。
特に江戸時代は、鎖国をしていたということもあり、日本というコミュニティが強制的に作り上げられており、さらにオンラインでしか繋がりがなかったので、各地域のコミュニティ力が高かったわけです。そして、国内を伸ばすことが、国益に繋がるというわかりやすい構造だったことも要因だと思います。
今の世界は、インターネットで世界中と繋がっているので、これと同様の文化にはなりえませんが、逆に国を超えた「スモールコミュニティ」がさまざまなジャンルで作ることが可能となりました。
お金がなめらかに巡るコミュニティツールは、毎月のように誕生していますので、10数年後に今を振り返ったときには、「八百八橋」のような、支援からできた建物だったりサービスだったりが、そこら中にできあがっているかもしれません。
また、当時の歌舞伎役者へのパトロンのように、「大衆に認められるまで、根強いファンや支援で支えられた」という事例も、このスモールコミュニティツールを活かせば、今よりもどんどん生まれてきそうですね。
無料版はここまでです。
最後まで読んでくれてメルシーボク!
お礼にアフリカから元気になるパワーを送ります!エイザンデ〜
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