幸せを求めて「どうしようもない自分とむきあって」~内観を通じてみる私~肺腺癌日記④
わかっちゃいるけど止められない私と向き合って
これからお伝えすることは、あくまで個人的な悩みを解決の糸口に披露したものです。
少しでも悩み、モヤモヤした日々を過ごされているかたに向けて助けになれば幸いです。
あくまで個人的なことさらけだすことで皆さんにみて頂きたい。
鬱陶しいと感じる方はご遠慮くださいませ。
写真は内観の、創始者吉本伊信先生と内観者との屏風で遮る姿、
後は内観とは別な最近の
私の個人的な今どき
押しの素敵な歌手たち。
私が心ときめく歌い手たち。
日々楽しんでいます。
演歌の三山ひろしさん。
ミュージカルの井上芳雄さん
Jポップス、演歌の田中あいみさん。
ミュージカルの遥海 ーハルミさん
若い人がどんどん歌が上手くて上手です。
①内観とは
内観とは自分が生まれてきたから今現在までの第三者の生みの母、養母、家族、兄弟姉妹、学校の先生、会社の上司先輩、同僚などに対して、
3項目
ーして頂いたこと、
ーしておかえしたこと、
ーご迷惑をお掛けしたことを
一週間宿泊して注意深く一つ一つ調べてー集中内観ー時間ごとに、内観の先生に報告して目的地まで誘導してあくまでも自分で気付く作業です。
自分の立ち位置を思い気付くまでいたる反省、研修することです。
これで何年も悩んだ苦しんだことから気付きがあった人が多々いらっしゃいます。
内観療法は、約50年前に吉本伊信氏が"身調べ"と呼ばれた自己洞察法をもとにして創始した日本発祥の心理療法です。
今全国の内観研修所の先生は吉本伊信先生から教えを受けた先生か、第2世代の先生です。
内観の説明したように
集中内観は一週間、研修所につめて
時間ごとに調べた課題を面接のは先生に話し
て課題からずれているかアドバイスを受け
る。モノコト人に浸りなさいなど指示を受ける
日常内観ー日常1人で時間を作ってやることは同じで毎日、週ごとに記録してメールーなりに記録する内観
例えばこんな感じ
~~~~
日常内観は
以上のようなものです。
もうすでにひどい自分が
現れています。
②私の日常内観の母に対しての5歳頃まで
生まれて5歳ごろまで
横浜蒔田町・父の東神奈川武器補給処勤務地借家
母に対して
〈して頂いいたこと>
乳呑み子からおっぱいを吸わせて頂き、布オムツを何度もつけていただき洗濯を何度もして頂く
上の口か下の口まで何にも出来ない私育児ー9歳の頃まで母の養護教諭復帰まで時間を割いて頂く
朝、昼、夕食をメニューを考えて食材を買って、兄、父と私、母四人の食事を作って頂く。
他人のから「何歳?」聞かれれば
(3歳)三本指立てればを母や相手が「私の居
場所」作って下さった
洗濯物を物干しに干して乾いたものを各人に分けてたたんだ。
粉ミルクを溶いて飲ませて頂く
手を繋いでストレート道叔母方の長兄二番目父叔母の家ー紙加工ー外国人向け写真帳、テッシュ入れなど加工職人宅ーや母方叔父長兄白妙町のワコール下請けブラジャー工場や母方叔父3番目ーパジャマ作り職人のところに連れて行って頂く。
カトリック横浜末吉町教会に連れて頂く。
幼稚園に一緒に送迎バスにのって頂く
イベントー運動会、遠足にお弁当ー和風テイクアウトーおにぎり、お稲荷さんおかずを作って一緒に会場で頂きました
七五三の5歳時のお祝いー上下のジャケットに帽子を着せて頂き
市内を回るとき市電に乗せて頂き、窓側に膝を着かせて町並みがよく見えるようにして頂く。
<してお返したこと>
父や兄と相談して誕生日にケーキを買って差し上げた。
毎朝、夕食の配膳ー箸、ご飯茶碗、などを、用意した。
父のしつけもあって、毎日家ノ前を箒で掃除をした。
父の靴磨きをした。
玄関を掃除をした。
子供なので背の高い物干しは難しいのでできる範囲で洗濯物を干したり、取り込んでたたんだ。
母につれられて商店街の買い物を買ったもをできる範囲でもちかえったを
<ご迷惑をお掛けしたこと>
蒔田4点セット
1.羽田空港でトイレをがしてなくて私がお漏らししそうになって売店で風呂敷を購入してそれで受けて頂く
2.お隣の米屋の息子ー同級生が家に来て、何かしてやろうと私が母が父の耳掃除を考えて気持ち良さそうなのを見ていて「嫌やだ」と言っているのにやってしまい相手が動いてしまい耳から出血してー母はその子連れてってを耳鼻科に駆け込んだ
3.近くの風呂屋で私は浴槽で気持ち良くなってしまい、うんちを漏らしてしまい、風呂屋さんに回りの大人に迷惑をお掛けしてしまった。
4.斜迎えのヤクザの家の玄関口の、ガラス扉を石を投げて割ってしまった。ー父がヤクザは必要悪だといい意味が解らず悪であることで石で懲らしめようとした。母がお詫びに行きガラス屋さんに、頼んで付け替えた。
私が小学校3年時まで育児に専念して母の時間を奪った
6歳上の兄の育児期間中を含めて通算6歳プラスチック9歳=15年間ー時間を奪った。
昼夜問わずトイレに連れてって頂く
むすがって昼の夜問わず泣いていた。
転んでは泣いていてあやして頂く。
~~~~
日常内観は
以上のようなものです。
もうすでにひどい自分が
現れています。
❗内観とは人生を大河と捉えて
俯瞰して自分を観ることです。
岩かどでションベンしたり、お弁当を食べた
り、内観の調べに「嘘と盗み」と「自分の養
育費」ありますが好い人ぶってもどんどんなんと酷い
嘘とあふれるくらいに盗みがでてきます。養育費は生ま
れて何も出来ない「私」を一人前にする親が払った
金額に驚愕します。親の愛情はとてつもなく
深いのです。是非、是非、試してほしいものです。
内観研修を受ける数年前前から
カウンセリングや心理療法でも落ちなくて苦しみました。
内観も2回集中内観を、受けてでなくて1~2
年ブランクを置いて
2007年1月研修所月例会のあと
③日常内観ででてきたもの。
●集中内観ではでは出てこなかった
❗どうしようもない私ー解っちゃいるけど
止められない思考行動、悪習となった習慣。
世間常識から外れた「ちゃぶ台をひっくり返
し返した」行動に回りが驚くことが多かった
人生が見えてきます。
~~~~
兄との言葉のやり取りで
「ほうら、聞いてない」
「聞いてなない」
お前は「◯◯をしたいいんだよな!
◯◯だからこうしたいんだよな!」
と私の性格、嗜好性を汲み取ってものを言う
ことがあることに気付きました。
これを読み取ってみるとー以下の日常内観で
も3歳頃「3本指を立れば居場所」を作ってく
ださる。
と併せて考えてみて、私に
⭕「言えない私」
いたことが私にありました。
先生にも報告して、
「良かったですね。気付きがありました
ね。」と喜んで頂きました。
⭕「聞いてない」は
解っていました。
転職するたび、人の話を聞いてない。
何度も聞いても身に付かない。ことは解っていました。
怖いてすね。人の話を聞くは仕事の何をするにも基本。
人の話を聞かなければ仕事は出来ませんね。
この段階で精神的に異常。甘えて依存的な私。ベールが覆
っていたことがはっきり解りました。
この後
以下の私の習性が芋づる式にどんどんでてきました。
小学校入ると、病気がちで床に伏せることが多くー
特に小児ぜん息で死の苦しみを何度も味わって
「諦めてしまうことが多く」
❗①◎諦め上手になってしまう。
すべてがいやになってしまう私。
これは後日後付けですが、
喘息に苦しんだ半世紀の
吉行和子さんの言葉です。
そここらはっと気付きました。
私も同じ経験者から言葉は重いです。
~~~
吉行あぐりさんー母親は
いっそこのまま、和子と二人で死んでしまおうか。
母のあぐりは、何度かそう思ったという。
私の子供時代は、ぜんそく抜きには語れない。2歳数カ月で百日ぜきにかかり、ぜんそくの発作を起こすようになった。以来、半世紀もの間、これに苦しめられた。
いったん発作が始まると、気道が狭くなって、息を吸うのも吐くのも、一回一回が命懸けのような作業になる。横になるのもつらくて、畳んで厚みを出した布団に、顔をうずめる...
~~~
❗②学習能力がないー
幼少期けら還暦すぎても、何度も何度も勉強しても結果が出ない先生から辞めなさいと言われました。資格試験は取れない❗
今までずっとです。転職を繰り返すーホントにやりたいことがないー自分の気持ちが分からないままやり過ごすー
腰を膝の、完全回復の兆しがあれば
在宅ワークで新聞投稿をいかしてエッセイの仕事?!または
簡単な仕事ー発送業務など負担の少ないものをしたいと就労支援を受けたいと、相談したら、国の支援は65歳まででした。
後は発達障害者の就労しているーネットの
[マイナーリーグ]を通じて仕事を探そうと思います。
❗③◎「ダメだと思っても遣り過ごすこと」
幼少期からずっと、習慣になってしまいその後の私の性格を形作るもと、なってしまった。
おたふく風邪ーおたふく風邪(流行性耳下腺炎)とは、耳の下の腫れが特徴の感染症です。
そこから
小児ぜん息を発症して高校生まで夜中ゼイゼイして皆の睡眠を妨げた。
私が小学校3年時まで育児に専念して母の時間を奪った
6歳上の兄の育児期間中を含めて通算6歳プラス9歳=15年間ー時間を奪った。
④◎土曜学校でトイレでお漏らして皆を臭いと言われてしまった。
❗◎「感じても感じない」
幼少期からずっと思考形成されたもの
自分を形成させることになってしまう。
遣り過ごすー最大のけんちゃん習慣‼️
学校ではなんとか回りがフォローして下さって生きてこれた
が、いざ社会人になって仕事ができない
ケアレスミスを連発。大きなミスを、繰り返して、
定年60歳まで、3社の転職をして、こりもせず、定年後とある
程度の給与が欲しいと60歳以後「精神障害手帳ーADHD」
我が強く、自分中心のものの考え方をしミス連発ほ避けたい。
を取得しても
腰側彎症の痛みもあって4社転職することになる。
3年ブランクを経て就労するもミス連発で2023年昨年3月末に
契約切れました。
いまは65歳以後肺腺癌もあって就労できたはずでしたが、病状を
勘案していまは就労前まで歩ける状態ー側彎症から来る腰痛の改善・左股関節通ー体操に努めています。
今後も障害手帳を出して、午前中で私の趣味~新聞投稿ー
企業の社内報で若い人向けの奮い立つ随筆コメントなどの仕事
ごおればわ簡単な発送業務など在宅ワーがあればと思ってま
す。
もう会社に迷惑をかけられないが
実態の私です。
これまでつたない文章を
読んで下さった方々に感謝します。
悩んでいるかたに少しでも手助けになれば幸いです。
それ以外かたには鬱陶しく感じたかもしれません。
悪しからずご免なさい。
また、機会があれば闘病日誌の中でお伝えします。