内観と子育て進路の悩み編
娘が進路に迷っている。悩むとこまで来ていない。ただ迷っているだけだ。
娘は高校2年生。初めて自分で選択できるときがきたわけだ。
勉強は好きでもないし、よく出来るわけでもない。
やりたいことがあるわけでもなく、強いて言えば楽しいことがやりたいこと、楽しくないことはやりたくない、そんな彼女が大学に行っても高校の延長でしかないだろう。
いや、きっと成人までの「間」を埋めるためのエクステンションが大学に…いつの間になっているのだろう。福沢諭吉も真っ青だ。
これから日本でも、どんどん大学に行かない選択をする人が増えるのだろう。行かせられない親も増えるだろう。
それはアジアの先進国として嘆く人が多いのだと思うけれど、そうなって初めて清浄化するんじゃないだろうか。
中学に行くために小学生は教わる。
高校に行くために中学生は勉強をする。
大学に入るために高校生活が過ぎて、
就職させるために大学がある。
そこに想像力の入る余地もなく。
娘の高校から学力が覚束なくとも大学に潜り込むための道はたくさん用意されている。
外部の大学への推薦。それには欠席日数や遅刻回数の制限がある。
「真面目な生徒」をここで求められる。
内部大学への進学。これに落ちる生徒はまずいないが、専門性の低い、なんとなくの大学。
ただ、その大学が悪いと思ってるわけじゃない。活き活きと、その大学を「選んで」通うなら、どの大学でもプラスになると思う。
娘に、そう働きかけるべきなのかなと思う。
周りの学力の高い子供を持つ人を見ると、幼い頃からそうなるように育てているのだと思う。
育て方を間違えたのかなとも思う。
受験コーディネーターをしていた人は「子供の学力は母親から遺伝する」と言っていた。
それを言われたらグウの音も出ない。
だって私、勉強出来なかったし。
よい大学に行くこともしなかったし、一応大学に行っておけという親の勧めで受験しただけだし。
大学でもバイトばかりしていたし。
卒業証書に何百万か…と思っていた。
結局、私は自分の進学理由が不満で、選び直せるなら違う大学に行くだろうと後悔している。
なぜ、もっと自分の可能性を信じなかったんだろうと。
娘の状況に自分を重ね合わせているだけなのだ。
確かに違う選択肢によって違った人生が待っていたかもしれないけど、それを選ぶのは本人でしかない。
自分が繰り返す選択で人生が作られていく。そんな自分の道を、みんなそれぞれ歩いている。
私の人生も、まだ続いてる。
いま居住を共にし、まるで重なっているかのように見える娘の人生は娘のものだ。
多勢に流されようが、なんとなく足を運んでいようが、結局は自分の人生らしくなっていくのだろう。
彼女らしく生きていけますように。
そう願うほかないのだ。
と、何度も自分に言い聞かせている。