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母の日に寄せて
母の日について捻くれたことを書こうと思う。
内観研究所の林モニカです。
田舎に帰省した絵理子さんが見かけたトンデモない「母の日通信簿」の話をしてから1年か…と思うと早いねぇ。こちらのインスタライブね。
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今日同じ服着てるわ…なんてことはどうでもよくて。
母の日って子供が幼稚園卒業したら「お父さんが子供に言わないといけないんだよ」って書いてあるインスタを見ましてね!
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まさしく!
幼稚園では「七夕だよー!」とか「母の日だよー!」とか言ってくれて手作り品を持って帰ってきましたね。
小学校、中学校、高校、、ともなると丸っ切りスルーの子供も多いみたいで。うちの娘も息子もなんもしないし家にすらいない。
私は誰に言われなくとも、しっかりやってましたね。ただそれは海外だったからかも。日本にいると、やる気が失せる。
白々しい広告が多いからかな?
インスタライブでも語りましたが「ポーズ」に見えちゃうんですよね。
バレンタインのチョコレートのようにミモザの日のミモザのように、、
広告にのせられて喜ぶのは母なのか?
年に一回、母の日に食べたくもない美味しくもないカレーを子供と作ればお父さんとして責務が果たせたのか?年に一回カレールー一箱使った不揃いな野菜入りのカレーを父の日に出してやろうか?
コマーシャルのように「わあ、凄い!すっごく美味しい」って言えよ…
なんて捻くれた事書いてる自覚は、あります。
それより申したかったのは、自分が母の日を祝ってもらえないからアンチ母の日なんじゃなくて、社会ぐるみで「〇〇をする日」をすることによって少数派とみなされた〇〇がない人を苦しめるとは思わないのか?
という長年の疑問。
運動会で親とお弁当を食べる習慣がなくなったのは、片親だったり親がいなかったりお弁当を持ってこなかったりする家庭の子どもに配慮して…らしい。
なら、母の日はなんだろな。
学校で言わなくともスーパーで花屋で駅のお菓子屋さんで、否応なしに飛び込んでくる公共の場で。
「こんなふうに感謝しましょう!」
「〇〇をあげましょう!」
と社会ぐるみで言われると普段気にしていなくても自分が持ってない人なのが浮き彫りになる。
「いる人」は、いつも感謝していればいい。
母の日だけでなく多数派を決められてしまう風潮が苦手だ。〇〇の日に食べるもの、〇〇の日に行くところ、、私自身は少数派ぶりたいわけでも少数派だから嫌なわけもない。
少数派が嫌なわけじゃない…ことすら少数派扱いされたりする。
前提が、まっさらならいいのにな。
と思う。
でも私だって散々やらかしてるんだろう。
物珍しい顔してるんだろう。
もう母の日だけど、何もしない夫の代わりに義母に花を送る。着くのは火曜日かもしれない。
いつも数日遅れて届く花を義母がどう思っているのかは、よく分からない。
文/林モニカ
捻くれシリーズ
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