【孤独】友達はいらない
どうも、人間関係リセット癖があるサカシタです。
突然ですが、これはだれの言葉だと思いますか?
実は、あの蛭子 能収さんの言葉なんです。
そう、あの「芸能界一のクズ」や「サイコパス」と呼ばれている蛭子能収さんです。今回は、そんな蛭子さんの書籍を参考に、人間関係やコミュニケーションのあり方を解説していきます。
今回の参考書籍
今回の教養は、株式会社KADOKAWAから出版されている書籍、『ひとりぼっちを笑うな』を題材に執筆しています。
著者は漫画家やタレント、エッセイストとしてさまざまな世界で活躍している蛭子 能収さんです。蛭子さんといえば「芸能界一のクズ」や「サイコパス」などと言われるように、歯に衣着せぬ言動で話題を呼ぶことが多いですよね。
本書では、そんな蛭子 能収さんだからこそ語れる、「人間関係」や「友達」について赤裸々に綴られています。本書を読めば、蛭子さんに対するイメージが必ず変わりますよ。
本書をタダで読むには?
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友達がいない? それがどうした?
まずはじめに、友達がいないことやひとりぼっちでいることで悩んでいる人に聞いてほしいのが、蛭子さんの下記の言葉です。
これには私も全く同意します。
「ひとりでいること」の快適さは半端ないです。
人の幸せは良好な人間関係によってもたらされますが、めんどうな人間関係からは不幸がもたらされます。
良好な人間関係だけを保ち続けられるならそれが最高ですが、仕事上かかわらなければいけない人や、友達の付き合いで切れないめんどうな人間関係もあるでしょう。
正直、「良好な人間関係」だけを保てないなら、いっそのこと「めんどうな人間関係」ごとすべての関係をバッサリ断ち切ってもいいのです。それくらい、「めんどうな人間関係」から生じるストレスや負担は大きいものです。
実際、私も人間関係をリセットしてきましたが、「めんどうな人間関係」から解放されると本当にストレスがなくて心地いいです。
仲がいい人や信頼できる人が数人いれば、ほかのすべての人間関係は不要と考えてもいいのではないでしょうか。
「絆」の押し付けはやめよう
2011年、東日本大震災が起こったとき、「絆」という言葉がやたらと日本中で使われ始めました。
震災があった2011年は、新聞で「絆」という言葉が使われた記事数は前年とくらべて倍増していたのです。
確かに、悲惨な震災後の大変な時期に「絆」は支援の象徴となり、人と人とのつながりによって助かった人や救われた人は大勢いるかと思います。
しかし、「絆」とはなんでしょうか? 蛭子さんは「絆がなにかわからない」と正直に語っています。
私もこの書籍を読むまで「絆とはなにか?」など考えたことがなく、ぼんやりとしたイメージで「絆」という言葉を受け入れていました。
しかし、蛭子さんのいうように「絆とはなにか?」を考えてみると、私にもよくわかりません。そして、当時「絆」と声高に叫んでいた人たちにも、おそらくわかっていなかったのではないでしょうか。
「がんばろう」は正しいのか?
そして、蛭子さんはこのように続けています。
日本は従来から同調圧力が働きやすい社会ですが、震災が起こった当時はさらに同調圧力が強くなったように感じます。もちろん助け合うことは重要ですが、蛭子さんのいうように「むやみやたらに強調しなくてもいい」のかもしれません。
例えば、うつ病で苦しんでいる人に対して最も言ってはいけない言葉は「頑張れ」だとされています。なぜなら、本人はすでに頑張っているため「もっと頑張らなくてはいけない」と焦ってしまうためです。
これと同じように、そもそも被災した方々はすでに「頑張っている」のであり、それを被災していない外野の人間が「がんばれ!」「絆だ!」とやたらと口を出すのは正しいのでしょうか?
相手の立場になって考える
「絆」や「がんばろう」といった言葉を強調する必要がないとする理由を、蛭子さんは下記のように綴っています。
あまり知られていないことですが、日本でも餓死は起きています。しかも1990年代以降、餓死者の数は右肩上がりに増えており、2003年には1,431人だったのが2019年には1,957人になっています。
先進国であるはずの日本にも餓死者がいるように、他人の心配をする余裕がない人は少なくありません。そのような人に向かって「大変な人がいるんだから応援しよう」「手助けしよう」というのは残酷ではないでしょうか。
また、そもそも他人に関心がない人もいます。
そして、そのような人たちのことを「助けないなんて最低だ!」「大変な人がいるのに見て見ぬふりをするなんてひどい!」とけなしたり、非難することは間違っています。
誤った正義感を振りかざす「◯◯警察」
昨今、感染症やウイルスが流行るなか、「自粛警察」や「マスク警察」が誤った正義感をかざし、他人の行動や言動に目を光らせています。
そして、すこしでも叩ける要素があれば非難や罵詈雑言を浴びせて、全力で炎上させようとする人たちがいます。
しかし、法務省HPでは「自粛警察と誤った正義感」というコラムで、このことについて、
と明記しています。
表現の自由は守られるべきではありますが、同調圧力を働かせて他人に行動や思想を強要する行為や、人を傷つける行為は断じて許されるべきではありません。
日本は「生きにくい」
あなたは日本社会を「息苦しい」「生きにくい」と感じたことはありますか?
2019年に行われた日本人を対象にした調査では、「現在の世の中は生きやすいか」という質問に対し、年代ごとの差を平均した全体では70%以上の人が「生きやすくない」と回答しています。
多くの人が「生きやすくない」と感じている要因はさまざまなものが考えられますが、そのなかの1つとして「多様性の低さ」が挙げられます。
実際、世界経済フォーラムの2019年版「世界競争力報告」をみてみると、日本は、
労働人材の多様性:106位
外国人採用:82位
と極端に低い結果となっています。
「多様性の欠如」が「生きにくさ」を招いている
では、なぜ「多様性の低さ」が「生きにくさ」につながるのでしょうか?
もちろん、「日本の競争力が低いから」ではありません。もっと身近な問題に直結しています。それが先程から述べている「同調圧力」です。
例えば、小学校のクラスでは見た目や言動が他人と異なる子どもがいると、仲間外れにされたりイジメの対象になりますよね。これは「多様性の欠如」が招く悲劇といえるでしょう。
そして、多くの人は排斥されることを恐れて同調圧力に飲み込まれ、周囲と同じふるまいをするようになっていきます。これにより、さらに多様性が失われていくのです。
多様性を認めることが重要
では、この点について、蛭子さんの考えをみてみましょう。
この考え方はとても大切です。
あなたも、他人の目を恐れて自由に意見することが難しいと感じたことがあるのではないでしょうか?
その「他人の目」こそ同調圧力であり多様性の欠如です。
もし、同調圧力がなく多様性が認められていて、心理的安全性(※)が確保されていれば、誰しもが自由に振る舞えるのではないでしょうか。
Googleの研究によって、生産性の高いチームは心理的安全性も高いということがわかっているように、社会にとっても心理的安全性は重要だといえるでしょう。
自由に振る舞うには「群れ」を離れる
なぜ、蛭子さんは「人は自由であって然るべき」だと考えているのでしょうか? 本書では下記のように綴られています。
このように、蛭子さんは誰よりも自由を尊重しているのです。
しかし、
「やっぱり人目が気になるし、人と違うことはできないよ」
と感じる方もいるかもしれません。たしかに、自由にふるまうことには勇気が必要です。
そして、蛭子さんは自由でいるためには「群れ」を離れなければならないと綴っています。
蛭子さんの言うように「群れ」を離れてみましょう。はじめに解説したように、「めんどうな人間関係」をまるごと切ってしまうのです。
例えば学校ではいくつかのグループが形成されて、グループごとに人間関係があります。しかし、グループに属していると同調圧力や上下関係の力が働き、自由にふるまうことが許されません。
人が群れると起こる問題
人は、群れると自由にふるまうことが難しくなるだけではなく、いくつかの問題が生じるようになります。この点について蛭子さんの言葉とともにみていきましょう。
まず1つ目は、「人は群れると横柄になる」という問題です。人は仲間がいるだけで気が強くなることがある、というのは誰しも経験があるのではないでしょうか。
2つ目の問題点は、リーダーです。人はグループになるとそのグループをまとめるリーダー格の人間が生まれます。そのリーダーの性格が歪んでいると、悪い方向に進みやすくなるのです。
差別意識の表出
そして3つ目の問題点が、「メンバーの誰かがはじき出される」という点です。
人がグループをつくると「必ず」ではないにせよ、高確率で誰かがはじき出されたり、いじられたり、またはパシリのように扱われて仲間外れになるでしょう。
つまり、人の心の奥底に眠っている差別意識が表出してしまうのです。蛭子さんは「差別意識は誰にでも必ずあるもの」としており、それが群れになると表にでてきてしまうのです。
しかし、「差別意識は絶対に表にだしてはいけない」と蛭子さんは綴っているように、誰かを差別することはあってはなりません。
また、差別的な感情が生まれる理由について、蛭子さんは下記のように考察しています。
まとめ:
もう一度、はじめに紹介した蛭子さんの言葉をみてみましょう。
ときに私たちは、肩書や役職、「誰と仲がいいか」をみて人を判断することがあります。
しかし、蛭子さんのいう通り、人の魅力はその人自身のスキルやキャラクターから生まれるものです。この点を無視して肩書やコネだけを追い求めても、幸せにはなれないでしょう。
「人間関係・コミュニケーションの教養」では、下記の教養もよくみられています。
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