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お釈迦様は輪廻転生を説いてますよ②
このnoteの結論は「お釈迦様は輪廻転生を説いてますよ」です。
結論だけ知りたい人は、以上で終了です。
このnoteは2回に分けて阿含経典の中にある「仙尼経」というお経の内容をダイジェスト版で説明する第2回目です。
なぜ、このお経を取り上げるかと言うと、お釈迦様が輪廻転生を説明しているからです。
おそらく阿含経典の存在すら理解していないであろう人から「お釈迦様は輪廻転生を説いていない」というトンデモ説のコメントを頂いたので、まだ、この世の中にそういう人が存在するならば、と思って書いたnoteです。
そのコメントの御本人は言い負かすのが目的であって、知らないことを学びたいという意識ではないと思うので、このnoteはその人向けの反論として書いているのではなく、広く一般の人に届けばいいなと思って書いています。
そんな一般の方に注目していただきたいポイントは、この「仙尼経」というお経は「仏教には教義教学が無い」とか「お釈迦様は輪廻転生を説いていない」と主張をする人の知見と正気を疑う内容のお経となっている点です。
また、般若心経を正しく理解している人であれば、その知識を活用して考える機会が得られる内容になっています。
「仙尼経」の内容構成
「仙尼経」の内容は、ざっと、このような流れになっています
仙尼さんがやってきて、お釈迦様に質問をする
お釈迦様が輪廻転生について3種類の思想があることを説明する
五蘊等々のマニアックな議論
仏弟子の実際の状況と縁起論のまとめ
1と2は第1回目に書きました。リンクを参照ください。
いわゆる輪廻転生は3種類の考えがあるが、そのうちの「常見」「断見」の考え方は誤りであると指摘してます。
このnoteは、まず最初に、3の五蘊に関するマニアックすぎる議論をちょっとだけ触れます。その後に4の部分の説明をします。
仙尼さん、お釈迦様から五蘊仮合の説法を受ける
お釈迦様から輪廻転生の考え方に3種類あるが、そのうちの「常見」「断見」の考え方は誤りであるという話の後、般若心経でもお馴染みの五蘊の話が展開します。
仏、仙尼に告げたまわく「色は是れ常なり耶、無常と為す耶」と。
仙尼、答えて言さく「無常なり」と。
世尊、複た問いたまわく「仙尼よ、若し無常なる者は是れ苦なり耶」と。
仙尼、答えて言さく「是れ苦なり」と。
すごく般若心経っぽいやりとりをしていることに気づくでしょうか?
無常=空です。
常=異空です。
だから般若心経の冒頭にある「色不異空」「色即是空」の源流のひとつが、仙尼経の「色は常ではなく無常なり」という、このやりとりに見えるわけです。
当然、このやり取りは「受想行識も亦複た是の如し」と続きます。
原文では、もう少しやりとりが続きますが、このnoteでは割愛します。
念の為、仏教経典の成立の流れを述べておくと、
仙尼経を含む阿含経典は、お釈迦様が実際に語ったことをまとめた言行録です。阿含経典が先に存在していて、その数百年後に当時の僧侶たちによって般若心経が書かれました。
でも般若心経は、お釈迦様の言葉でいう「縁起」=「無常」を「空」という言葉に変えて縁起論を説明しているから、お釈迦様の説法をうまいこと異なる表現で説明しているお経と言えます。
逆に般若心経を否定してしまったら、お釈迦様が語る縁起論の否定につながるので、その人の語る仏教はもはや仏教とは言えなくなります。
このような弟子は生まれ変わる
仏、仙尼に告げたまわく「我が諸の弟子、我が所説を聞き、悉く義を解せずして慢を起こし、無間等は無間等に非ざる故に慢即ち断ぜず。慢断ぜざるが故に此の陰を捨ておわりて陰と与に相続して生ず。是の故に仙尼、我即ち記説せり。是の諸の弟子は身壊れ命終して彼彼の処に生ずと。所以は何ん。彼れは余の慢有るを以ての故なり。」
さて一般の人で漢訳阿含経典の書き下し文を一部でも読んだことがある人はどれだけいるでしょうか?
その辺でブッダの言葉と称して何かを書いている人は「詩歌」を書き連ねていて、結局何を言っているかがわからないものばかりです。
ところがコアな阿含経典の文章は、なかなか重い内容になります。
この文章の主語はお釈迦様です。ざっと概要を説明すると
私の弟子たちの中にも、私の説法(所説)を聞いても、全然理解せず(悉く義を解せずして)、それ故に煩悩(慢)を出し、煩悩を断滅することができない者がいる。
煩悩を断滅することができないから、死んでも蘊(蘊=陰)が消滅しないので、煩悩と蘊と与に相続して、この世に生じてしまう。
だから、このような弟子は、どこそこに生まれ変わると説明するのである
こういう事を言っている。
正しく般若心経を理解している人ならば「人間は五蘊が仮に結合した存在である」という知識はあると思う。
でも、死後は五蘊がバラバラに離散して、また新しい蘊が集まって、新しい五蘊となり、再び生を受ける。それが今の自分である。
と、ここまで認識している人は少ないのではなかろうか?
なぜ五蘊が集結して、今の自分という存在が生じてしまったのか?
これを仙尼経の言葉を用いて説明すれば、
前世において、お釈迦様の義を悉く解せずして慢を起こし、慢を断ぜざるが故に、再び蘊=陰が発生(相続)することになり、人間として生まれてきてしまったのだ。所以は何ん。読者であるあなたは余の慢有るを以ての故なり。
読者であるあなたは、前世において煩悩(慢)を断滅できなかったので、再び輪廻転生してこの世に生を受けたのだ、とあなたの存在理由を説明することができます。
第1回目を読まずにここまで読んだ人向けに説明すると、
仙尼さんという人が「ゴータマさんという宗教者が自分の弟子が死んだら、どこそこに生まれ変わるって言ってるらしいんだよ」という噂を聞いて、仙尼さんが直接お釈迦様のところにやってきて「弟子がどこそこに生まれ変わるって話、それってどういうこと?」という質問をしたところから始まります。その質問に対してお釈迦様が「教義教学をちゃんと理解しない弟子もいて、そういう弟子については身壊れ命終して彼彼の処に生ずと説明しているんだよ」と答えた、というお話です。
この部分は、一部の人が言うところの「お釈迦様は輪廻転生を説いていない」という主張を完全否定するお釈迦様自身の言葉による説法です。
昔から今現在に至るまで、ずっと語っていることです
そして仙尼経の続きには、まるで「お釈迦様は対機説法をしてきたから統一的な教義教学が無い」というトンデモ説を言う人々宛に語っているかのように、お釈迦様自身からの贈る言葉があります。
我れ昔従り来今現在に及ぶまで常に説く。
慢・過慢・集慢・生慢起こるに若し慢に於いて無間等に衆苦を観ぜば生ぜず
意訳すると、こうなります。
慢、即ち煩悩が増えて集まって、また新しく生まれるという苦の連鎖は、仏法の智慧(無間等)によって四念処観等の修行すれば、再び生じなくなる。
これを、私は昔から今現在に至るまで、ずーーーーっと説いていますよ
これは縁起論と四諦の説明です。
苦:衆苦がある
集:それは煩悩、即ち、慢・過慢・集慢・生慢が起こるからである
滅・道:無間等に衆苦を観ぜば、再び苦は生じない
縁起論と四諦を理解すれば、阿含経典に残されているお釈迦様の説法は、縁起論・四諦で一貫していることが、よく理解できます。
そして「我従昔来及今現在常説」とお釈迦様自身が語っているのに、どこをどう解釈すれば「仏教には統一的な教義教学が無い」という「たわごと」が言えるのか?
常に説いているのだから、常の教義教学があるんだよ。わかりますか?
もしかしたら学者さんたちの中には理解しているけれど、先輩学者さんたちの顔に泥を塗るような論文発表はできないから「見ざる言わざる聞かざる」の信念で失業しないように頑張っています!という人もいるかもしれない。失業覚悟で言うべきことを言え!とはボクも言えないですから、それなら仕方ない。
でも、しがらみの無い我々一般人が、狭い学者ムラ社会の都合にお付き合いする必要はないわけで、我々はお釈迦様に「我が所説を聞き、悉く義を解せずして慢を起こし」ていると指摘されないように頑張る必要があります。
仙尼経は般若心経の思想の源流のひとつ
般若心経の元ネタは仙尼経である、と言うつもりは全くありません。
思想の源流をたどっていけば、たくさんある源流のひとつとして、仙尼経があるかもしれない、というレベルのものです。
この仙尼経の特徴は、般若心経を正しく理解している人ならばよく理解できる五蘊というお馴染みの概念を用いて、般若心経が説明していない五蘊の再生成、それは人間の輪廻転生のことであり、その輪廻転生が生じる根本原因を「慢」という言葉で説明しているところです。
般若心経は「苦」がイヤならば「ぎゃーてい・ぎゃーてい・・・」という真言を唱えて、般若波羅蜜多の智慧によって阿耨多羅三藐三菩提という悟りの境地を得ましょう!で終わります。
それに対して仙尼経は、縁起論を理解した上で煩悩を断滅する修行をしなさいという説明になっています。
般若心経を作成した初期大乗の人たちが理解しようとしなかった重要なお釈迦様の教えが仙尼経に残っている感じですね。
繰り返しになりますが、先に阿含経典、仙尼経が存在していて、その数百年後に初期大乗系列の僧侶たちによって般若心経が作成されています。
だから般若心経に不足している部分を仙尼経が補ったのではない、ということを理解してください。
過去のnote
阿含経典という聞いたこともないものを持ち出されて
自分が信じていたものを全否定されて、今、猛烈にブチ切れている人
もし、あなたが、如来真実義を理解したいと願う人ならば、いちどおちついて、このリンク先の動画を真摯な気持ちで見ることを推奨します。
漢訳阿含を学ぶ
下記に紹介する書籍は阿含宗開祖が極めて重要と考えている阿含経の解説本です。漢籍原文の阿含経、書き下し文、阿含宗開祖の解説という構成になっています。
上巻
阿含宗開祖がまず最初に知ってほしい「八法十六法」という修行法について書かれた経典がトップバッターとして掲載されています。もしどこかの仏教者が「仏教は自分が瞑想して自分が救われることであり、他者を変えることはできない」と主張していた場合、その説明は完全に誤りであるということを堂々と指摘できる阿含経典です。是非、読んでほしい仏教の本当の教えです。
また、今回のnoteで取り上げた「仙尼経」の解説もあります。
中巻
「意生身」という、現代の我々が一般的に幽霊と思う存在をお釈迦様がはっきりと認めている経典が掲載されています。お釈迦様は霊魂を説かなかったという一部の人の説明は誤りです。それをこの書籍でご確認いただければ幸いです。
下巻
仏教は道徳・哲学であって、お釈迦様は輪廻転生も死後の存在も認めていないと本気で考えている人は、この本を読んで、今までの自分が何を学んできたのか、改めて考え直してみる機会を持ってほしいです。この書籍は、お釈迦様が認識している輪廻や死生観をテーマにした阿含経典が多く掲載されています。