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仏教の実践は人生のリスクマネジメント②最悪の運命の出会いを変える
このnoteのテーマは「自分の意思とは全く関係ない最悪の運命の出会い」を回避する具体的な方法は何か?です。
そしてビジネスパーソンとして、
・物事の本質は何か?
・具体的な解決手段は何か?
・問題を未然に防ぐには?
こういうことばかり考えている仕事、例えばプロジェクトの企画・進行・マネジメント、システム設計・開発、リスクマネジメント、防災、炎上案件の火消しといった仕事をしている人を対象読者としています。
そして伝えたい結論はこれです。
仏教の実践は人生のリスクマネジメントである
そして仏教による人生のリスクマネジメントは可能である
まずは運命の出会いを変える!全てはそこからです
noteで仏教を語る誰もが逃げている例題
【例題】
私が仕事中のことです。
我が子が事故で死にました。
交通法規上全く問題なく信号待ちをしていたところに、全く面識のない人が運転する自動車が突っ込んで来たからです。
子どもは即死でした。
【考えてほしいこと】
残された家族にとって、この状況は「苦」ですか?
よりによって自分の子供が、その日、その時、その場所で、天文学的な確率を引き当てて事故に遭い死亡するという、当事者たちが誰も望んでいない最悪の出会い。どうして、このような事件事故が自分たち家族に降りかかるのか?
当事者たちの意思に関係なく巻き込まれる事件事故との遭遇は、あきらめて受け入れるしかないのか?それとも未然に防ぐ方法があるのか?
もしも未然に防ぐ方法があるとするならば、それはどのような方法で、どのようなメカニズムで成されるのか?
それは数字で効果を説明できるのか?
ボクは、この例題の事件を未然に防ぐことこそが仏教の実践であるとnoteで述べ続けています。
そして「これこそが仏教の実践である」とnoteというSNS環境で述べているのは、現状、唯一ボクひとりです。
強制イベント:最悪の運命の出会い
一般的に言えば、その日、その時、その場所で
家族が事故死することは、自分の意志とは関係ないはず
事故死する本人も、事故死する予定はなかったはず
事故を起こした自動車の運転手も、人をひき殺す意思を持って運転していないはず
であるのに、事件・事故は発生する。
もしも最悪の運命の出会いという強制イベントが発生しなかったならば、家族は死なないという結果になるはずである。
すると目指すべきは、この強制イベントを回避する何らかの手段を事前に講じておくことである。
真に力ある神仏との良好な関係を構築する
フラグが立った理由や原因は、今は考えない。
強制イベントの回避を優先する。
では、その手段は何か?
シンプルな結論は「神頼み」です。
但し「苦しいときの神頼み」ではなく
日常的に良好な関係性を維持している神仏に守護してもらうというレベルの神頼みです。
このnoteの事例の事故、自力で制御できないですよね?
だから、人間が絶対に制御できない「出会い」の部分を、本当に人を救う力を有する神仏の力で、うまいこと制御してもらうのだ。
この事例の場合、苦しい時の神頼みでは間に合わない。
神頼みをしたい時、家族はすでに事故死しているからだ。
仏教の実践が人生のリスクマネジメントであるというボクの主張の重要ポイントが、まさにここにある。
平時から本当に人を救う力を有する神仏と日常的に良好なコミュニケーションを確立しておくからこそ、いざという時に神仏の加護で救われる。
実は救われていることすら気づかないことも多い。
そこを目指す必要がある。
救いの効果測定
「神仏と良好なコミュニケーションを確立して加護を得て、人間では制御できない人生上のリスクを回避せよ」というのが、このnoteの趣旨です。
「神仏の加護などというものが、本当に存在して、本当に効果があるなら科学的に証明してみせろ」と考える人もいるだろうから、効果測定の話をしましょう。
統計数字を科学に含んでいただけるのならば・・・ですが。
神仏の存在は現代科学で測定できないけれど、加護の結果は数字に現れる。
1995年の阪神・淡路大震災で、はっきりと数字が出ています。
当時、神戸と淡路島地域の阿含宗の正規会員信徒は約1万人いたのですが、震災による死者がゼロ名でした。
偶然ベッドから転がり落ちた方向が逆だったら家具に押しつぶされていたという類の当時の証言はたくさん残っている。
阿含宗には準会員制度もあるのだが、「準会員&震災関連死」という条件に広げて、やっと3人という犠牲者が出る。準会員でも直接の犠牲者はいないのだ。
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当時の資料などから、阪神淡路島地域の人口は約156万人で震災の死亡者が約6400人、死亡率は0.41%となる。
だから「神仏は存在せず、よって神仏の加護は存在しない」とするならば、信仰の有無にかかわらず1万人あたり41人の死者がいる計算となる。
あるべき平均値:10,000 x 0.41% = 41
阿含宗の数値:10,000 x 0.03% = 3
統計学を少しでも学んだ事がある人ならば「母数の性質が違う」ということがわかるはずです。
当時、約600人ほど檀家信徒がお亡くなりになったと発表している教団があるのだけど(さすがに名前は出せない)、阿含宗の死亡率である0.03%という数字を適用して計算上の会員信徒さんの人数を割り出してみましょう。
600 / 0.03% = 200万
当時の阪神淡路島地域の人口を超えてしまう。
やはり「母数の性質が違う」と言わざるを得ない。
母数の性質の違いの正体は何かといえば、神仏の加護の有無です。
「大震災」と名前が付く大変な自然災害で数字に差が出てくる。
ここに家族を守る人生のリスクマネジメントの大きな打ち手がある。
このnoteは、物事を論理的、科学的に考えることが可能な、仕事ができる人を対象読者としています。
この数字を見て、感情面はともかく、偶然と言い切りますか?
ちなみに東北大震災も阿含宗会員信徒の死亡者はゼロでした。
嘘だと思うなら他の人の仏教noteを読んでみましょう
noteというSNS界隈で仏教を語る人たちの中で、このnoteの冒頭に書いたような事例に真正面から向き合って書いている人はいない。
書いているのは、唯一ボクひとり。
要は、自分の意志とは全く関係なく、他責の事件事故に巻き込まれて自分の人生が狂ってしまうことも仏教で言うところの「苦」なのだから、それをどうするつもりなのか?
というのが、ボクのnoteでかかげている重要な問いかけです。
ところがnoteで仏教を語る人の絶対的大多数は、
煩悩を消すことが~とか
心の問題が~とか
関係性が~とか
マインドフルネス瞑想が~
という感じで、自分のことしか考えていない。
嘘だと思うならば、冒頭の事例をもういちど読み返した上で、このような事件の発生原因と未然に防ぐための具体的な解決手段を仏教観点から述べている人を探してみると良いでしょう。