オランダ🇳🇱アンネ・フランクの家
こんにちは。なほです☺️
女ひとり世界一周旅はヨーロッパに突入し、1カ国目オランダに来ました🇳🇱
今回は友人とふたりオランダにあるアンネ・フランクの家に来た時の学びや感想を残したいと思います。
子供の時、「アンネの日記」という本を読んで衝撃を受けました。
アンネ・フランクとは、第二次世界大戦中に2年間もの間、ナチスから逃れるため「隠れ家」で生活していた少女のことです。
この日記には、その「隠れ家」での生活やユダヤ人というだけで人権がどんどん奪われいく様が少女目線でリアルに綴られています。そしてこの日記はアンネの死後、父親によって出版されました。
この作品を読んだ当時、自分と同じ歳くらいの少女による日記ということに恐怖を感じたのをなんとなく覚えています。
この少女が2年間暮らした隠れ家はオランダのアムステルダムにあり、今は博物館となっています。
中は写真撮影不可だったので、以下私の感想のみ残していこうと思います。
アンネ達はアンネの父・オットーの所有していた建物の上階と屋根裏部屋を改築し、そこに身を隠すように2年間暮らしていました。
隠れ家への入り口は秘密警察達から逃れるため回転式の本棚で作られた隠し扉となっており、アンネ達が実際に生活していた隠れ家部分を歩いて見学することができました。
計8人で暮らしたこの隠れ家ですが、8人で暮らすには大変狭く息苦しかったことが伺えました。
ただ、アンネの暮らした部屋の壁には少女らしいブロマイドなどが飾られているのを見ることができました。
また、貴重なアンネの日記の原本も見ることができました。
2年間隠れて暮らした生活はある日ゲシュタポ(秘密警察)によって終わりを告げることになり、アンネ達は全員強制収容所へ連行されます。
アンネと姉マルゴーはベルゲン・ベルゼン強制収容所へ送られましたが収容所での悪環境によりアンネはここで病死しました。
結局、この8人のうちアウシュヴィッツ強制収容所に送られた父:オットーのみが生き残りました。
彼は娘達の無事を信じ必死に情報を探し続けましたが、同じ収容所にいた者から娘達の最期を聞きました。
その時のオットーの絶望は計り知れません。
オットーはその後アンネの日記を見つけ、それを出版し隠れ家も博物館として保存されることになりました。
アンネ・フランクという名前は有名ですが、実際にどんなことが起きたのか、詳細を知る人はどれくらいいるでしょうか。
私はアンネの日記を読んではいましたが、正直なところ内容ついて深く覚えておらず、”ナチスによりユダヤ人達は強制収容所で虐殺された”ということしか知りませんでした。
でも実際は、もっと長期的に人々の日常を蝕むように、ナチスによるユダヤ人迫害が行われたということを改めて知りました。
歴史は学び続けなければいけないなと痛感しました。
この後の旅路で、ポーランドにあるアウシュヴィッツ強制収容所へ見学に行く予定なので、全ての学びを線にするように繋げていけたらいいな、と思う私でした。
ここまで読んでくださってありがとうございました。