映画「his」感想 “補助輪から少しずつ”
5泊6日の東京・神奈川遠征。
幼馴染ちゃんと落ち合うまで時間がある。
我が住んでる県では公開していない、ずっと気になっていた映画、「his」を見に行こう。
カプセルホテルで寝転びながら僕は近場の公開している映画館を検索した。
とても温かい映画だった。
僕はエンドロールで頭の中で物語を咀嚼して思いに浸るタイプなので、何故がエンドロールで泣きそうになってしまった。
詳しいあらすじは割愛させてもらい、ネタバレ込みで少しだけ考察を書いてみる。
2時間ちょっとの映画。
細かい感想はのちのち自分語りを含めて書きたいと思っているので、今回は要点をひとつに絞ってみた。
「私、自転車乗れないんですよね」
この映画で僕が1番印象に残ったのはこの台詞だ。ガツンと頭を殴られた気分になった。
僕自身もセクシャルマイノリティであり、生きづらさを感じている。特に恋愛面。
社会のコミュニティに入っていくと、恋愛についての話題を振られる時は多いだろう。
彼氏いるの?
どういう人がタイプ?
なんか面白い恋愛話とかないの?
この手の話題や質問を問いかけられる度、僕は毎回心の中でこう思っていた。
「なんで僕のセクシャリティを断言して話しかけてくるのか」
僕は嘘をつくのが得意ではない。ましてや本当のことを言う勇気もないし。
社会には異性と恋に落ちない人やそもそも恋愛をしない人など沢山の人達がいるんだ。
お願いだから、そのことだけは頭の隅でもいいから置いておいてくれ。
なんて、そんなことを思っていた。
物語も終わりに差し掛かって。
空ちゃんが自転車に乗る練習をしていた。
僕もこうやって練習したなぁ、家の前で何回も往復して、何回もコケて。
僕も勝手に思っていたのだ。
みんなにもこのような経験があると。
自転車に乗れると。
そりゃあそうだ。
人類誰しも自転車に乗れる訳では無い。改めて考えると何ら不思議な事でもない。
僕自身が田舎に住んでいて、ライフラインが自転車の人が多いので、今回の映画で改めて気付かされた。家庭環境だったり住んでる場所だったりと様々な理由で自転車に乗らない、乗ったことがない人だっているじゃないか。
空ちゃんが自転車練習をしているのを後ろで支えている母である玲奈。
その玲奈が自転車に乗れないなんて、露とも思わず映画を見ていた。
最後には空ちゃんも自転車に乗れるようになる。もしも、僕が玲奈に何か話しかけられるとしたら、「2人で一緒に自転車でお出かけできますね」
と言ってしまうだろう。
先入観というのは、意識していても日々の性格に何気なく蔓延っているものだなとまざまざと感じた。
先程の僕の思いに準えて言い換えるとしたら
「なんで自転車に乗れることが当たり前なのか」 である。
持たないようにと嫌っていた先入観、固定観念は我が物顔で僕の頭に居座っていたのだ。
少し気になってインターネットで調べてみた。
そもそも、日本人で自転車に乗れない人はどれほどいるのでしょうか。まずはじめに質問してみたところ、98.6%の人が「できる」と回答。意外にも「できない」と回答した人が1.4%もいました。なんと、日本人の100人に1人は自転車に乗ることができない人がいることが分かりました。
引用元) 自転車に乗れない大人が“100人に1人”はいる!?
https://www.google.co.jp/amp/s/news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/14531479/https://www.google.co.jp/amp/s/news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/14531479/
なるほど。セクシャルマイノリティよろしく、世の中には結構な割合で自転車に乗れない人がいるではないか。
「自転車 乗れない」でヒットしたのを眺めていると、そのことを馬鹿にされたり信じられないという目で見られた人も少なくないらしい。
それが嫌で乗れると嘘をついている人もいた。
ネットでサラッと見た程度だが、それだけでも自転車に乗れない人への怪訝な目や偏見は多く見ることができ、それに対する怒りの声も見えた。
最後の迅と渚と玲奈で自転車に乗っている空ちゃんを見守っているシーン。
何気なく迅に対して呟かれた玲奈のさりげないカミングアウト。
このシーンは、玲奈の厳しかった家庭環境や親との関係を示唆する目的だったかもしれないが、我々に「気付き」を与える意味でもあったのではないかと感じる。
少なくともこの映画を見ている人は、「同性愛は異常だ」とか「子育ては女の方が良い」とか、そのようなガチガチな偏見や固定観念は持っていないと思われる。
加えて、この映画は群像劇ぽい要素もあり、第三者視点から俯瞰的に観てしまう構図になる。
それ故に、自分は固定観念を持っていなくマイノリティに理解がある、と自身を驕ってしまうかもしれない。
だからこそ、最後の最後でのこの台詞は、僕の頭に会心の一撃を与えるのには十分であった。
今回は、あくまでも「先入観」「固定観念」という面で同一の性質を持っているという体で、便宜上セクシャルマイノリティと自転車の2つを比較して考察した。
次の記事では、迅と渚を中心に自分語りもほどほどに入れつつ、「his」の全体的な感想を書いていこうと思う。