写真部3月展作品
写真部4年のりこです。
2022, 3/4〜6、写真展が開催されました。
来てくれた方ありがとうございました。写真部のみなさんお疲れ様でした。
4年ともなれば過半数が後輩な訳ですが、素敵な作品、多かったなあ。お姉さん尊敬するわ。
今回は、自分の作品についての“セツメイ”をする記事です。
本来は作品は説明なんかしなくても作者の意図が伝わるものが“いい作品”なんでしょうけど、今回は作品についてどうしても伝えたいことがあって、(まあつまり私にとって“意味”をもつ作品を作ったので)noteを書くよ。
まず作品を紹介するよ
今回は2作品展示しました。
1.
今日は私にケーキを買って帰ろう
2.
Don't look (ほんとうに?)
1.『今日は私にケーキを買って帰ろう』
テーマ・背景
元気ない日って、あるよね。
悩んだり落ち込んだりする日って人生に何度もあるけど、大人になるにつれて、ちょっとづつだけど、上手くそれと付き合えるようになってきて、落ち込む時はしっかり落ち込んで、でも落ち込んでばかりもいられないから、頑張って立ち上がって生活をして、美味しいケーキでも買って元気だして、どうにか、生き延びてるんだよね、生き延びてくんだよね。
これは、この作品を作ったときは、「私」の話だったんだけど、「あなた」の話でもあるんだよなって、作品へのコメントを書いたり読んだりして思った。だから先の文章の結びは「ね」なんだと思う。少なくとも何人かの「あなた」の心に寄り添えたこと、私は嬉しく思う。
本当に嬉しい、
この作品、「心を元気にするもの」のとして写ってるものが「お花」なのに題名は「ケーキ」にしたのはね、私が元気出したくてこのお花を買った日、小さいケーキの箱を下げてる1人の女性に出会ったの、帰りの最寄り駅の、エスカレーターで。その時に、もしかしたら私がお花を買ったのと同じように、この人も、元気を出したくて自分のためにちょっとした贅沢をしたのかもしれない、と思えて、なんか、「嬉しい」とはちょっと違うんだけど、胸がいっぱいになって、頑張れそうな気がしたのよ。
実際そのお姉さんが持ってたケーキにそんな意味があったかはわからないけど、少なくとも、この世にそうやって頑張って“生き延びて”いる人はたくさんいるんだなと想像出来たことが、私にとって意味があった。その感覚をこの作品の題名にはちょっと込めた。
だからさ、もし“どうにか生き延びている誰か”の心にこの作品が寄り添えたなら、それはとっても光栄なことだね。
作品作り
今回私は暗室で「タイプC」って言うプリント方式で、つまりアナログな方法で手焼きをして作品を作りました。(色作るの難しいんだよお)
せっかく自分でカラーの手焼きやってるんだから、今回は色に意味を持たせたかった。
さっき言ったけど、この作品は、落ち込んで、立ち上がって、元気だして、って繰り返しながら生き延びる人間の生活を表現した作品なのよ。
その気持ちの浮き沈みを、私が出す私の色で表現できたら良いと思った。
落ち込んだ時の、暗く沈んだ気持ち。
何にも解決してなくて悲しいままだけど、仕方ないから立ち上がって生活をしてみる。
自分で自分に、「元気出して」って言い聞かせるために花やケーキを買ったりする。
その時気持ち、色。表現できただろうか。
正直、この作品を出すの、めちゃくちゃ不安だった。
私はまだまだカラープリントの技術が十分じゃないから、「わざと」青くしてるんじゃなくて「下手」なだけだと思われたらどうしよう、統一感がないと思われるかな、とか。
色の見え方ってほんとに人によって違うから、私に撮ってはこれが「作風」とか「意図」でも、人によってはただ「変な」色の写真に見えてしまってないだろうか、とか。
私は、これだ!と思ったんだけど…、やりすぎだったかな、とか。
今もまだ不安でいる。今回作品の色についてコメント感想ほとんどもらってないから、実際どう見えてたのか全然わかんない。どう見えてたんだろうってずっと気になってる。
お願いなんだけど、写真展で鑑賞してくれた人は、初見どう思ったか是非感想を教えてほしい。怖いけど、批判的な意見も聞きたい。今後もカラー頑張るから。このnoteのコメントでも、個人的にでも、ほんと、感想ください喜びます。がんばります。
あと、もう一つ、作品作るにあたって白枠をかなり太くした。写真が小さいから周りと比べた時にちょっと控えめすぎる感じがしてしまうけど、枠を太くすることで、写真の中の景色と鑑賞者に「距離」が出来てくれれば良いと思った。その効果は出てたと思う。心の内側の奥底をを表現してる感じが少しでも伝わってれば良いな。あなたの「内側」わたしの「内側」、こことは遠いとこにある。
2.『Don't look(ほんとうに?)』
背景
この作品を語るにあたって知って欲しい背景があります。
大学一年の時に受けた「表象文化論基礎」の授業で扱った内容が、私に根深く残ってて、その内容ってのが、“美術史におけるジェンダー論”みたいな感じなんだけど、軽く説明させてね。
美術芸術において、「女性」っていう表象の扱われ方についてなんだけど、
かつて「女性」は“見られる”もので、魅惑的に扱われてきたのよ。エロティックな女の芸術作品とか見るでしょ。
わかるよね、“「消費」される女”問題は今も根強く残ってるよね。
んで、芸術表現される“見られる女”について抗った芸術家たちがいたわけですって話!
“見られる”ことに抗うために“見る”をやってきた女たちがいたのよ。
例えば1枚目の「オペラ座にて」、当時オペラ座は女は豪華な格好してきて、男はそれを見る場所、みたいな感じだったらしいんだけど、それに抗って、暗い(所謂色気のない)格好してオペラグラス持って、わかりやすい、「見る」をやってる、そんな女を描くことは、当時の「見られる女」が扱われてた芸術への、否定なんだよ、って。
授業でやったのは簡単にだけどそんな感じ!
女を消費すんなっていう主張をした作品たちがこれまでにたくさんあるのよ。
それがでもさ、結構前からずっとあるんだよね、100年も昔に、歴史上に、こういう主張があるのに、抗ってきた女たちがいるのに、未だに「消費される女」「かわいい(エロい)女」「見られる女」について問題がいっぱい残ってる、だって女はまだずっと「見られるもの」みたいなままじゃない?
そんなのやだー!
って気持ち。2枚目の、イルゼ・ビングの「セルフ・ポートレート」めちゃくちゃかっこいいよね。言いたいことは同じ、つまり「私は女、芸術家だ、見てんじゃねえ」ってこと。
鏡越しにレンズを(つまり写真を見る鑑賞者を!!!!)睨みつけてて、鏡越しに写るレンズも、「視線」「お前を見てるぞ」を表してて、合わせ鏡に映る横顔も力強く睨んでることがわかって、すごく意志が強い写真だよね、これは。
わたしはこの構図を参考にして今回の作品を作ったよ。(ほぼパクリだけどいいのだ、「やりたかった」が強いからいいのだ)
Don't look (ほんとうに?)
テーマ・題名について
題名さ、めちゃ迷ったのよね。イルゼビングのセルフポートレートみたいな、フェミニズム的作品を作りたいってのはあったんだけど、
ただの「真似」じゃなくて、私の私なりの思想を入れるなら何かなって。
前の文章読んでたら思うよね、フェミニズム的観点から言って、“Don't look”はわかるけど、“(ほんとうに?)”ってなに?って、
私はフェミニストとして、「女を、見てんじゃねえ」って、「かわいいとか、かわいくないとか、うっせえ、そんなんで評価してんじゃねえ」気持ちがあるよ。
でもさあ、でも、そう思ってるけど私、「私を見て」と思うときはないだろうか?
めちゃくちゃある。承認欲求強いもん。メイク上手く行った時とかTwitterにあげる時あるもん。それってなんなんかね、ってのが最近考えてる課題。まだ考え中で、答え出てないんだよね。すごい難しい。「見てほしい」のと「見んな」って気持ち。「かわいくありたい」と、「他人の評価なんか必要としてねえ」って気持ち→「かわいいは自己評価」って言いたいけど、それは本当にそう??とか。
私だけの話じゃなくて、女は女として抑圧や不平等(非対称性)にはもちろん逆らいたくても、結局どうしたいの?
例えば現代でSNSに所謂「かわいい」をUPして、「上から目線」の「鑑賞者」たちに「評価」されて「承認欲求」を満たされてる人々はいて、能動的に「見られる」をやってない???それって何? 消費、されたいの??
答えをずっと出したいんだけど、出せないから、(ほんとうに?)ってつけた。考えていきたいよねって姿勢です。難しい、難しいよね。
でもやっぱり「女=鑑賞されるもの」なのはやでしょ。当たり前に。
作品作り
丸い鏡を使ったから鏡ってことが意外と伝わってなくてビビった。横顔は置き鏡です。構成についてはイルゼ・ビングのセルフポートレートと主張は同じ。(腕時計とか、髪をかき上げてる手にも、フェミ的何かを含ませられたらいいなとか思ってみたり。)
1,2枚目は、睨みたかった。「見てんじゃねえ」の姿勢。1はピントを睨んでる横顔に合わせたもの、2は鑑賞者を見る目とレンズ。
2枚目の鏡が黒いのは、「覆い焼き」っていう手法で、印画紙への露光時にその他の部分を下の写真みたいなの使って覆うことで、露光時間に差をつけて、部分的に暗く濃くしてる。(詳しく知りたい写真部暗室勢は聞いてね、部室に本もあるし)
シルエットがいい感じに出たかなと思うんですがどうでしょう。
さらに鑑賞者への見られてる感を強められたらな、と思いましたが、どうでしょう?
3枚目は、私を写す割れた鏡にピントを合わせて、「見られまいと睨む自分」に懐疑的な姿勢を表してる。強く睨みつけたいけど実際自分に巣食う弱さだったりも、内包できたらな、と。
とはいえ
いや、いろんな思想を込めて見たけど、とはいえ、“セツメイ”して理解してもらうんじゃなくて、作品で伝えたいことを示して、それが全部ですよ。見る人が感じて、その人の中で作品の意味を決めていただくのが1番いいと思ってますよ。
あと、こんなふうに思想を込める写真が必ずしも良いってわけではないと思うよ。ただ綺麗でいい写真もたくさんあるし、私は写真の撮り方がまだまだ下手くそだから、やりたいことをやってるけど技術が追いついてなくて、恥ずかしいなあ。がんばるよ。
追記:写真部の部員の皆さんは、全コメを書いて、そして読もうね!共に刺激し合って、成長していきましょう。
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