確定申告が終わったので、そろそろ海外移住・台湾ワーホリについて語っていこうと思う。
2024年2月28日、無事確定申告を終えほっと一息。そんな一息もつく間もなく仕事は続いていくのですが、ここで今年のこれからを想像してみようと思います。
自分のポッドキャストでも年末年始でよく話題に上がるのですが、「目標を立てない目標」をここ最近は謳ってはいたものの、それでは収まらない沸々とした野望を今年は感じています。
台湾へ(2024年5月中旬〜)
これは目標よりも決定事項でもあり決意でもあるのですが、今年の5月中旬くらいから台湾へ少しばかり住んできます。
ワーキングホリデー制度を使って現地に住むので長くても1年間。幸いなことに現地では今の仕事を続けながら現地で生活ができそうです。ただ台湾でも何かしらコーヒーに関わる形で仕事をしたいので、その辺は運との勝負。
なぜ海外へ?
いつも猫を被ってカッコつけて「台湾でコーヒーカルチャーを学ぶため」なんて理由をつけて言っています。もちろんそれも理由の一つ。だけど根本は少し違う。
ただ住む場所を変えたいだけ。なんです。
冷めているでしょうか。いえ、かなりそこは熱を持って論じたい。
海外に住むわけですから、熱い思いがあっていくんだろうなという想像は難しくないと思います。1度目のワーホリ先のオーストラリアはまさに「熱い眼差し」を現地のコーヒーカルチャーに向け意気揚々と向かったその事実に、間違いはありません。
でも現地での生活は、全く自分の思った通りにはいきませんでした。いえ、これは悲観しているのではなく、むしろ楽観的に感じています。
たまたまシェアメイトがDJのオーガナイザーと夜の仕事のママさん、毎晩夜は酒池肉林。そのおかげもあってDJと繋がり、その魅力や現地の音楽シーンにハマったり。
たまたまコロナによるロックダウンが世界一早く厳しく施行。そのおかげもあって非日常を写真に切り取る心の余裕もでき、最終的にはそれをzineとして販売できたり。
現地のコーヒーカルチャーへの「熱い眼差し」は、環境一つで勝手に角度を変えられへし折られる。良くも悪くも偶然が別の視座を手繰り寄せ、新たな経験として学ばせられる。
環境が変わるだけで自分の中の価値観や感受性が大きく揺さぶられる体験は、何か「生きている実感」をも与えられる、そんな気がします。
だからただ住む場所を変えたいんです。生きているという実感をより感じたいから。
生きにくさが生きている実感を生むのかもしれない。
今は東京に住んでいます。東京といっても目の前には神社、川、遠くには丘が見え、朝は小鳥やカラスの鳴き声で天気を察せられるような、自然と街のいい塩梅の場所を選びました。
すごく住みやすいです。このまま老後まで、温水の流れるプールで浮き輪に捕まりながら流されるまま生きていけそうな、そんな心地よさ。
その心地よさによって自分が苦しめられる感覚。自分にとって生きにくさによって苦しめられる感覚よりも、すごく痛く感じてしまう。胃を小さな手でギュッと掴まれ嗚咽したくなる。まるで気持ち悪い鈍痛。
心地よい環境は、それ以上を求めづらく、それ以下は望みたくない。
生きづらい環境は、それ以下になればなるほどそれ以上を求め必死になる。今自分に必要なのは後者のような必死さなんじゃないか。
この感覚は決して全員に当てはまるものじゃないと思います。
東京にいようがどこにいようが、生きづらくて困っている人は少なからずいるはず。
でも今の自分は「生きづらく」しないと何も求めないし、何も生まれない。どうせ生きているのだったら、何か世の中に価値を生み出し誰かを喜ばせたい。だから今の場所ではない他の場所で生きづらさを享受したい。
その最初の経験が海外だったから、今なお海外を見据えているのかもしれません。
台湾でしたいこと
中国語をビジネスレベルまで目指す
ローカルカルチャーを知る上では、言語は必須なんじゃないかなと感じています。翻訳機を介するコミュニケーションでは、何か言葉に温かさを感じづらい。もちろん「旅行」を目的とするならそれでもいいかもしれません。
私が知りたいのは、現地の人がなぜ喜び、悲しみ、そこに美しさを感じるのか。彼ら彼女らが何か心に触れた瞬間を共有してもらえるよう、言語を上達させたい。それがビジネスレベルなのか何レベルなのか分かりませんが、そのレベルまでに言語を習得したいと思っています。
台湾でzine制作に取り組む
zineの制作も続けたいと思っています。一つの自分を表現するメディアとして、クリエイティブの一つとして、その世界観を表現したく続けていけたらと思っています。
スペシャルティコーヒー屋さんに通いまくる
今も家探しにネットを奔走してますが、その一つの基準が「近くにコーヒー屋さん・カフェ」があるかどうか、あわよくばそこがスペシャルティを扱っていたらいいな、とも思っています。
コーヒーカルチャーを、というより、そこで生まれる偶然の出会いや可能性に掻き立てられます。その偶然の可能性の頻度をより高めるためにも、現地の言語への造詣は少なからず持っておきたい。
きっとこのあたりの目標や夢も、環境一つでどうにもならない、むしろ別の可能性が開かれることも期待しつつ、あと数ヶ月、台湾に行くまでの思いを備忘録のように書き連ねていこうと思っています。