龍神の宿題 宮島その4 イイ・ヤシロ・チ㊶
無事、厳島神社に参拝し大鳥居を潜ったあと、すっかり任務完了モードの気抜けな五十路コンビは、足と気の向くまま移動した。(つまりここからは無計画、行き当たりばったりオプショナルツアー編となる)
そして、小さな雨が降り始めた。まるで「ハイ、サービスタイム終了」とばかりに。龍神は大抵このようにきっちりと調節される。もちろん一日中雨降り予報なのだから、随分と大サービスくださったと感謝しなければ、罰が当たるだろう。
これからどうする?とマップを覗き、右上端にある大元神社の名前に惹かれた。全国八幡の総本宮である宇佐神宮の奥宮も大元神社という名で、そこには三女神とスサノオが凄まじい迫力を放って祀られていたなと、かつての記憶が蘇ってきた。「オオモトには、やはり三女神が祀られてる?」などと想像した。漢字の意味にはあまり囚われず、音に素直に心を預けると、連想癖に拍車がかかってきたこの頃。
大鳥居から水族館前を通り過ぎ、大元公園に到着。途中に出逢う素敵な木々たちに、海辺から森へと景色が転じる宮島の多様で豊かな自然を知る。浄雨が植物たちを一層瑞々しく磨くなかを、心躍らせて進む。
公園隣の鳥居をくぐり、境内に足を踏み入れると、空気の密度がぐっと高まるようだった。その中に立つ堂々たる大楠の磁力に心身がもってゆかれた。紙垂はないけれど、ご神木級のオーラを盛大に放っていた。
鹿たちが平和に佇む斎庭の、その精妙な英気を身に受けて参拝に向かった。拝殿前の立札を読むと、そこに祀られているのは三女神ならぬ国常立尊と山の神、食物の神、そして空海の一族だった。なるほど、この国土を担う神と、人の仔の命を養う神々。確かにわたくしたちにとっての大切なオオモトだ。そして、その神々に仕える空海の一族、社家の佐伯氏である。
参拝を済ませても離れがたくて、ゆっくりと社の周りを巡る。雨に洗われた紅葉が鮮やかで、此方の身も染まっていくような豊かな色彩に浸る。
たまさかの出逢いとも言える、典雅なイヤシロチ大元神社を退出したわたくしたち。次は、せっかくのオンシーズンなのでもみじ谷公園へ、と話がついた。ノープラン自由旅の醍醐味である。
そのままのんびりと厳島神社出口辺りまで来ると、10時前の時刻もあって、修学旅行生と観光客が賑やかにひしめき合っていた。「さすが観光地だね。」と、お揃いのバンビ?の被り物で笑顔弾けるJKたちを横目に見やりながら、ふと、そばのお寺が気になった。「そういえば、この大願寺には龍神が祀ってあるとかって聞いたような?」じゃあ、ご挨拶しましょうと、龍神好きの五十路おみなコンビは、そのまま吸い込まれるように入門。
境内は結構な人数で混雑しているのに、その周りにはほとんど人がいない本堂前の厳島龍神の祠。早速「おはようございます。いい塩梅に雨の調節をありがとうございます。」とお礼申し上げ、参拝できた感謝と龍神祝詞を捧げた。背後の九本松が枯死して切り株だけ残っているのが、残念だけれど、龍のポータルのような祠は好ましかった。そういえば、弥山の七不思議の「龍灯の杉も枯死」と説明もあった。もしも島全体の樹木の勢いが弱まっているのなら、それは大変に気懸りなことである。
龍神参拝と他の拝所へのご挨拶をすませて、授与所で記念に龍神の土鈴をお授け頂いた。それを傍らに置いて、帰宅後に調べてみると、とても重要なお寺と改めて知る。祀られていた龍神は、弁天様の御使いである。「女神と龍神の組み合わせ」が各所に示される琵琶湖とも重なる。龍は女神に従い、天と地の橋渡し役を担う存在なのだろうかと、考えた。(三大弁財天のもう一つ、江の島はどうなのだろう?)
そして、年に一度の御開帳で此方の弁天様に出逢えたら、素敵だろう、と次回のお楽しみをまたもや知ったことである。
アチコチ寄り道参拝から、やっと紅葉谷に向かう。人波でごった返す通りを抜けて、到着する頃には雨粒が大きくなってきた。それでも足元が歩きやすい防水ブーツ着用であり、無風で体感気温もあまり低くない楽旅である。
そうして到着した秋雨の紅葉谷は、人影も疎らで、雨音だけが静かに響く、文字通り谿紅葉(たにもみじ)を顕わしていた。すべての枝葉が色とりどりに、錦秋の最期の美しさを振り絞るように見せていた。二人きりで発する言葉もなく、きれいな色の落ち葉を踏みしだきながら、この一期一会の潤う秋景の中をゆったりと歩むのは、夢のような心地であった。
もと来た道を戻る傍に、偶然に旅友がその石段を見つけてくれた、四宮神社。雰囲気いいね、と本日三社目の寄り道参拝。表示板によると、カグツチなる火の神を祀っている?けれど、「何故だか水神さまのような気がするのよね」と、旅友に語り掛けてしまう、わたくし。
雨の谷に立つ神は、火の神なのだろうか。もしかすると、火を抑える水の神では?と妄想が始まりそうになる。
参拝終えた四宮神社のすぐ近くに、偶然にレトロな山村茶屋を発見。お腹も空いた頃合いで、休憩を取る。温かな室内から、綾錦の屋外を眺める贅沢。優しいおもてなしと自家製のほの甘い甘酒が、温かく体内に染みわたって、幸福感に包まれた。
休憩がてらネットを覗くと、この近くに美しい聖なる木、その名も「龍昇の神木」があるとか。店主の方に場所をお尋ねしたが、早朝から歩き尽くして、かなり疲れがたまってきたのと土地勘なしの雨中探検に自信はなく、今回は断念。これもまた次回の宿題とする。
この一服の後、午後一のフェリーで本州に戻ろうと、帰路についた。ところがまるで念押しのように、通りかかった老舗旅館の戸口に、またもや龍のしめ縄を発見した。此処は、神社ではないのに。やはりこの谷は龍神クラオカミの司る場所とする考えが強くなる。
この龍神が喚ぶ誰かを、佳き日に此処にアテンドするお役をわたくしは仰せつかったのか。それは、宮島の龍神の思し召し。これほど愉しい旅をさせていただいたのだからお断りはできないと、帰途につきながら思ったことだ。
そう観念して、緋毛氈が敷き詰められたごとくのもみじ谷を、心残りなくさっぱりと後にする。この宮島旅で龍神から課された宿題はいくつかあれど、いずれまたこの聖なる島に渡り、それらを果たすことになるのだろう。そのためにも、世界はずっと平和であれ、と強く願った。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。