虚弱のためのメンテナンス からだ♡ダカラ①
鍛えれば勁くなる、
と標準仕様の身体を持つ方々は ふつうにそう思うだろう。
しかし、そうはならないタイプもこの世には存在する。
それが、虚弱体質である。
当の本人もこれではイカンと思い、それなりに問題解決に向き合おうとするが、何度かの手痛い「失敗」を体験し、強靭な肉体を持つなどという大それた野望を諦めるパターンもあるのだ。
この場合の「失敗」は、何もしなかった方が当人も家族もキズが浅かったという 無駄足のような経験のことである。なので、当然に周りの関係者も共にあきらめの境地にすんなりと出向いてくれることが多い。
もし、ここに「鍛えレバ教信者」が混じると虚弱者はなかなかに苦労をする。もちろん、虎の穴の訓練に耐え、めでたく脱虚弱体質なさる方もいらっしゃるだろう。けれども、東洋医学で「持って生まれた生来の気が少ない」と診断される分類があるとおり、やはり真の虚弱者は鍛え甲斐がないのである。
小学生のころ、「冷水を浴びると丈夫になる」と母がどこからか仕入れた情報をもとにわたくしに水をぶっかけたところ、翌朝から高熱を出し、10日間ほど寝込んだということもあった。今なら虐待疑惑満載な試みだった。が、当時夜中に何度も起こされ、あちこちの小児科にわたくしを連れてまわっていた母は切実だったのだ。弱々しく診察室のクルクル廻る丸椅子に座ったわたくしの目の前で、母に大声で怒鳴った医師がいたのを思い出す。彼女は心底わたくしに「普通の元気な子ども」になってほしかったんだろうと思う。
同じ親から生まれ同じ屋根の下に暮らしていても、他のきょうだいは両親や親族のように丈夫だった。隙があれば外で遊ぼうとする。家のなかでも、ちっともジッとしていない。それに比べてわたくしは、幼児の時から老婆のようだった。天気が良い日も室内でゴロゴロして、本やマンガを読み、テレビや遠くの景色をぼーっと眺めたり、お絵かきや折り紙などが好きで、食も細く、自家中毒もよく起こしていた。青白く骨格が小さく細く筋肉がつかないヒョロリ体形。このようなわたくしがまさか50年を超えて生きてこれたことこそ、実は自分自身がビックリ仰天なのである。
小学2年の夏にふと、「あまり長生きできそうにない。三十歳くらいで死ぬかも。あ、死んだらどうなるの?どこにいくの?」と発問して謎にはまって眠れなくなった。死後のことは全くわからないままだが、体調が常にすぐれないために生きていてもしんどいな、と 死ぬことにはさほど恐怖を感じなかった。それで、単純に短命だろうと思い込んで暮らしてきた。予測よりもはるかに長生きできていて、本当に意外な展開である。オマケもらった感が強いと同時に、どうしてだろうと訝しい。
いろいろ考えて出た答えは、「ムダな抵抗をしなかった」から。虚弱仕様の身体は今生のわたくしのスペックである、と素直に受け入れたこと。鍛えて生じるリスクよりも、日常を支障なく過ごすためのメンテナンスを重視したおかげではなかろうか?と。
一般的にはもっと元気に長生きしよう!、という前向きが好まれるけれど、少数派の虚弱体質には「維持できればオッケー、少しでもよくなったら最高♪」と基準を自分に優しく低め設定する。コレで「弱い私=ダメ」的な自虐ストレスが激減する。生命力の強さや長さより、ご機嫌のキープがわたくしの目指すところ。
そして具体的には「太陽作戦」が得策だ。この戦略のキモは、「折り合う」「手懐ける」。虚弱体質に厳しく当たるのではなく、やんわりとお伺いを立て、身体の負担を軽くする行動パターンを身につけることである。絵本『太陽と北風』を参考に。
訪れる不調の兆しを発見し、大事にならないように早めに手を打つ。体内の気が大きく乱れることを避け、気が養われる環境に身をおくように心がける。
また、わたくしは通常の容量の薬の服用で具合の悪くなることもままあるので、薬品・栄養剤系のものの量や回数にも慎重になる。世間で様々な健康情報が飛び交っても、安易に飛びつくのは時として命取りだから、流行りのものに手を出すのはブームが去って周回遅れの参加で良しとする。
仕上げは、時おり身体に「行きたいところに出かけたり、好きな人に出会えたり、美味しく食べられて、気持ちよく眠れるのは、全てからだのおかげです」と感謝の気持ち=♡を改まって表明する。いわゆる「言祝ぐ」という懐柔である。この精神の在り方が肉体を平らかに保つ基本なのではないかと信じている。
iyasi-logy 癒やし学では、この「からだ♡ダカラ」のテーマで、自分でできる ちょっとした維持調整のことを書いていこうと思う。身体にご機嫌よく動いてもらって、快適に暮らせるための工夫やわたくしのお気に入り情報を綴りたい。
「あなたはこれまでの前世、全部すごく短命だったけど、今生はまだ生きられます。」
人生で一度だけ能力者とお話する機会が数年前にあった。聞いてもないのにその方がサラリと話した言葉が忘れられない。
あー、わたくしは転生前も長生きしたことがなかったのか。と心から納得しつつ、「それなら今この五十路以降は貴重なラッキーのおまけの部分。キープ&ご機嫌を目指して遊んでみよう」と思う。
お釈迦様も人間は生老病死から逃れられないと、仰った。老若男女ほぼみんな、いずれ、程度と期間の違いはあれど虚弱状態を体験するだろう。虚弱歴イコール年齢のわたくしがこのテーマでつづるものごとが、どこかの誰かのご機嫌な暮らしに役立てばモッケノサイワイである。
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