喚ばれ参拝 イイ・ヤシロ・チ㉚
乗りたかったバスに目の前を通過され、仕方なく目的地を目指して歩くと、うっかりと出会ってしまった神泉苑。
こういう時は「お喚びですね」と観念。お久しぶりの神泉苑参拝となった。龍首の船浮かぶ神池と、祈りを胸に念じながら渡るべきご神橋、善女龍王が祀られている歴史深い霊場は変わらず心地よい。ご挨拶と祈りを捧げる。
此処は晴れ晴れとした青天なのに、自宅近くは「大荒れの暴風雨」だとスマホが絶妙のタイミングで知らせてくる。わたくしの本日の目的地は、此処だということ?とふと思う。
それとも何かしら御用があるのかもしれず。ただ、わたくしにはその内容が具体的にはわからない。聞こえも見えもしないから。
高い空の上からすべてお見通しの存在に、両手をあげて降参するしかない人の仔のわが身。こんな体たらくで、いい加減な者だけれど、もし何かしらのお役に立てているのならば善きかな、程度に考える。
そうして、神泉苑を後にして、もともとの目的地へも参拝を果たした後の、お楽しみの直会。わたくしが、オーダーしたのは、お薄と和菓子のセット。そこで運ばれてきたのは、偶然にも雷雨や渦巻きを表しているような器。海外の作家の作品ですとのこと。
飲み干したお茶の翠が残る茶碗の底に展開する、くるくると渦巻く青と白の稲妻か豪雨か。先日出向いた深い谷底の上に切り立った磐座、そこから下方を覗いた時の感覚が蘇ってきた。そうだ、頭に浮かんだ「クラオカミ」のイメージ。たぶん、あの時にお使いのミッションが下されたのだ。
こうやって、龍の計らいは、こんなわからんちんにも徴を懇切丁寧に示してくださる。その細やかさに心底感謝しつつ、要領を得ないながらも、神様の召喚に馳せ参じる日々を重ねていくのである。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。