大和橘(ヤマトタチバナ) ヌチグスイ*⑭
日本の神話の世界で、橘はとても神聖な果物として登場する。
垂仁天皇の長寿のために、非時香果(トキジクノカコノミ:いつも輝き良い香りのする木の実)を田道間守が遠く常世の国にまで探しに行き、10年かけて持ち帰ったけれど、天皇は既に崩御されていて田道間守は嘆き悲しんで死んでしまった。「間に合わなかった、おつかい」がもたらした果実。それでも、大変な任務を貫いた成果は、わたくしたちの暮らしの中で今も黄金色に輝いているのだ。非時香果は、大和橘(ヤマトタチバナ。以下橘)であるとされている。
一般的には、「桜といっしょにひな壇を飾るミカン」といえば、誰でも、あゝアレか、とイメージされるだろう。京都御所紫宸殿の左近の桜、右近の橘を模した飾りである。艶々と濃い緑の葉が旺盛な生命力を、白い花は芳しく、輝く黄色の果実は繁栄を象徴するお目出たい果樹。
今、国内で唯一の野生のミカンである橘は、二か所だけに自生する希少種となっている。つまりとても珍しく、なかなか目にすることが難しいのだ。植物としての橘を調べると、それをすんなりと理解できる。
その珍しい果樹には、いくつかの寺社で出会うことができる。
わたくしが初めてソレとわかって実際に橘の木や花実を目にしたのは、奈良の広瀬大社の拝殿前だった。御神紋も橘のこの社の由来に橘が関わっていることからだと、ご由緒を知って理解した。
神託が下り、一夜にして沼地が乾き橘の木が生える、そういう不思議な伝承にいったいどんな暗喩があるのだろうか?とまたしても、妄想世界に突入しそうになるけれど、どうにか踏みとどまって、橘そのものについて引き続き調べていこう。
昨秋、わたくしは日吉大社の宇佐宮の神前で橘に出会った。小さな果実がたわわに実っていた。烏もお猿さんもたくさん生息するであろう社域であっても、殆ど手つかずだった。そこで思ったのは、「きっと不味いのだ。」その予想はどうやら当たったようである。
命を延ぶものとして探索されたのだから、これぞヌチグスイであろうが、実際の橘は酸っぱくて食べづらいそう。残念ながらそのまま口に入れられるみかんではないのである。それを食べられるように手を加えたのは、お菓子屋さんだったのか?
実際、橘をもたらした田道間守について調べると、経緯はわたくしにははっきりとわからないけれど、彼は現在、お菓子の神様として祀られているようである。和歌山県海南市の橘の神社、その名も橘本神社。ここでは菓子祭も催されている。
そして、なんとこのお社の橘の果実からお饅頭を作る和菓子屋さんもあるようだ。創佳菓匠 招喜(まねき)さん。その橘嶋 賀美の郷を、ぜひ一度お茶タイムにいただきたい。
希少な野生の橘が生育する沼津市で、無農薬の橘をその薬効(ノビレチン、カレン、テルピネン4オール)を損なうことなく扱う戸田橘香房を見つけた。果実と加工品の販売やレシピの紹介もあり、種の絶滅を食い止めるためにも利用したいと思う。
↑こちらに示されている通り、橘に含まれるノビレチン、カレン、テルピネン4オールは、確かに人の健康を助ける素晴らしい成分である。健やかさをもたらす果実であるというのは、ただの伝説ではなかった。
そして、芳しい花や果皮を持つ橘は、役目を全うする誠実さを表するのにふさわしい果樹である。そのとおり、橘の花は、香りが強くまた風雪の中でも強く育つことから、人徳があり奥ゆかしい人は「橘のようだ」と形容される。
そのように表現される果樹が、今や絶滅の危機に晒されている。この現状を考えると、なんとも不穏な心持になる。この国では今、橘のような人が息苦しい気持ちで暮らしていないだろうか?と。
たとえそうであっても、わたくしは、願うのである。かつて目にした、青い秋空を背景に明るく温かな陽光のような耀きを放っていた、橘の果実。あの時の橘から拡がる爽やかで高潔な香りを思い出しながら、橘のような人でありたいと。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。